五十の舞 その8

 突貫練習によって、30キロを走れるであろう練習は積んだ。 だが、そんなもんは当てにならん。 確実に裏打ちさせたいのであれば、練習で30キロをとりあえず、走ることだろう。 走っておれば、走ったという証明は出来ている、その距離を走らずに走るということは、ぶっつけ本番で走れやってことだ。 俺自身が年齢を感じるのは、ごまかしが効かないことかな。 以前は、誤差5キロまでは大丈夫だったが、最近は、それさえも怪しくなっておる。 無理が効かん年齢なんだねぇ。 

 脚は、徐々に登坂になっていることを感じ取っておる。 普段、歩いておると、僅かな傾斜は感じんもんだが、走っていると、僅かに傾いていても 「あっ、坂だ」 と感じるのだ。 走り始めて、前半は気にすることはないことが判った。 時間はないなりに走りこんでいたから、これくらいは大したことはない。 折り返しまでをまず、目標としよか。 

 それにしても、人が多い。 おしっこタイムのせいで、かなり遅れた。 遅れた為、周辺のペースは、身体に悪いほど、遅くなってしまった。 歩いていても、走っていても自分のペースを守れないと、疲れてくるでしょ? あれですよあれ。 だからといって、自由に動けるか? っちゅーと、長〜いシークレット・サービスに守られているが如く、にっちもさっちも行かない。 抜かす前に横を確認せんと、あぶなくて抜かせないのだ。 強引に抜いてゆくヤツも居るが、あれは出来んのよ。 だって、みんな楽しく走っているんだからさ、そこまで躍起になって走っちゃ駄目でしょ。 とりあえず、焦らず走ってゆこうではないか。 

 北風は吹いているけれど、気温はそこそこ上がっている。 若干、汗をかき始めた。 ウインドブレイカー着ておったら、汗だくだぜ! 俺は、何事も念のためが多い、別段、なーんも気にかけずに走っちまえばいいのにとも思う。 そこら辺は、マラソンっちゅー競技のせいもある。 最初っから、最後まで気持ちよく走ることは、なかなか難しい。 前半、気分よく走っておっても、後半、ガタガタというパターン。 俺は、これに属すな。 

 きっと、専門的な指導を受けた方が、格段に上達するのかもしれないが、その手の事は昔っから、好きじゃなく、基本何でも我流である。 ベースを弾くにしても、海外旅行の仕方も、我流だ。 だから、マラソンもはじめっから我流で走っておる。 だからといって、速い訳じゃない、でも膝も傷めず、走り続けているのだから良い。 身体は、頑丈なのだろう、おふくろに感謝だ。 半世紀使ってみて、これといってガタが来ているところもないようだ。 さすが目は、老眼だけれどな。 おふくろが 「私が還暦になるなんて、思ってみなかった」 と言っていた。 俺もそのまんま 「俺が半世紀も生きるなんて、思ってもみなかった」 

 今、青梅を走っている時間も、繋がる一瞬の出来事の一つでしかない。 継続し、途切れる事がない時間の一部でしかない。 時間の感覚は、自分自身の中で、発生し、自分自身の中で、終了する。 だからといって、今、俺自身の人生のどこら辺であるか? というのは、定かではない。 確かに平均寿命から考えれば、残り20年強位かなぁっと、目算は出来る。 が、それは目算でしかなく、一人一人の寿命は、プライベート設定であるからして、残りどれ位であるかは、判らん。 無理をせずにまずは、折り返しを目指すべか。