いやぁ、あっちゅー間に59歳になってしまった。みんな、同じように言っておるが「俺が(私が)還暦になるとは思わんかった!」俺もそう思う。俺たちの代が生まれた丙午が1周回って還ってきたのだ!!まさか、次の丙午がやってくるとは思っておらんかった。でも、やってきたのだ、ノストラダムスの大予言並みにやってきた。だが、来てみると呆気ない。自分の頭上を雲が過ぎ去って行く感じかな、気づいて目で追った時には遠くに行っちまっている。人生なんてそんな感じだな。最近、昔の記憶が少しずつ、消去されておるんじゃないかと思っている、幼稚園よりも前の記憶とか、小学校の頃のうすぼんやりしておる記憶とか!ヤバイな、これが戻ってくるのはボケちまって、脳の根幹が少しずつ減って行き、消える直前に思い出すのかなぁ?怖い怖い。
そんな記憶を共有した連中と集まった。二人で会うことはあったけれど4人集まるっちゅーのは10年ぶり。ここら辺になってくるとそれなりに顔に皴が入り、髪が少なくなり、白髪が多くなる。当たり前だけれど、ちょっとしたタイムマシーンだ。それに加えて今回は、街並みも変わっておった。俺たちが育った街は、下町であり、がさつであり、大半がふんわりとヤンキーだった。下町というと浅草、足立区近辺を思い浮かべるようだが他にもある。その一つが俺たちが育った街だ。成長期だったから、まぁ街にはガキが溢れかえっておった。いやぁ楽しい時代だよな。令和の連中のことを思うと、不憫でならない。くさるほどに友達いるってことは幸せだ。
そんな中で、俺たちは知り合い、今も繋がりがある、これも幸せだ。ここまで来たら、逝ったヤツを順番に看取ることになる。
いつものように駅ビル前で待ち合わせをした。以前なら、いっとはじめに到着しておるオサムが「よっ!」っと言って現れるのがいつもの流れだ。待ち続けても現れんことは分かっておるが寂しい限りだ。オサムが居らんから俺がいっとはじめに到着した。驚いたのが人の多さだ。日曜日だって言ってもだ、多すぎだろう!りんかい線が通るようになって、地元の地代は上がっておったがこれだけ顕著に人が増えておるはビックリだ。どうした?人口減少なんじゃなかったっけ?そうか、東京に人が集まり続けているんだっけ!集まってくるもんもおれば、弾き飛ばされて東京以外に行っちまうもんも居る。俺たちだ。俺も結婚してサイタマンになってしまった。早いもんで9年目になるのか?ここまでくるとしっかり、サイタマンだ。俺も地元は普段から人が少ない、基本じいさん、ばあさんしか闊歩しておらん、ある意味未来を先取りした老人天国の街だ。それと東京から弾き飛ばされた連中と、他県からやってきて東京が高くて住めん奴らだな。東京に居ったとき、金髪やら、鼻ピーしている奴とか、どっか来るんだろうと思っていたら、ここら辺からやってくるんだな。ここにやっけに派手な奴が居るなと思ったらここから東京にレッツゴーだったのね。
5分前にYKが到着、還暦手前にして早期退職を言い渡されてしまった。きついよな。俺が務めている会社よりデカイから、そーいうこともある。俺のようにとりあえず身体が動けば幾つになっても働いてくれちゃっていいからさという雑食系の職場とは、ちと違う。俺なんかいつ辞めてやろうかと思っている節がある。働かなくて良いのならみんな退職して、桜を見ちゃ「おぉ春が来た」と思い、暑くてしゃーない時には部屋から一歩も出ず、雪降る寒い時も同じように部屋から一歩も出ないような生活をしたいよなぁ、ボケちまうとかいうけれど、俺はやることが一杯あるぞ!!俺に時間と金をよこせ!
そうじゃないだろ、結婚しちまうと、かみさんの心配もせにゃならんし、老い先短い先に行くであろう親のことも考えなければならない。そうだ、金は必要だ、遊ぶ金じゃなく生活をするための金だ。
二人そろい駅の出口で待っておると、修行僧のような頭をしておる、デカイ荷物を背負ったおっさんがやってきた。「ありゃ、もう来てたの?俺が17時前には着いていたんだけれど」「着いてたよ」その姿だと、俺は分からんかったかもしれな・・・NK。そしてもう一人はlineに既に連絡が来ており、到着30分遅れるとのこと。まぁ想定内。
さて、どうするか?「ぶらぶら周辺見てみるか?」最近の地元はどんな感じよ?そういえば、俺らが住んでいたアパート群がなくなり、かなり経つ、劇場が出来、中途半端期を抜け、本決まりの建物が出来たようで、駅前にタワーマンションが出来上がっていたような気がする。この街にタワーマンションは似合わねぇと思っているのは、俺たちだけで世間はそんなことはこれっぱかしも思っちゃいないようだ。取り残されるのも寂しいが、変って行くのも寂しい。
大通りを抜けず、脇道をするすると入って行く。ここら辺は地元だ、知ってる道だ、でも微妙に変化しておる。角にあった古いビルが新しいビルに変わっておったり、入っているテナントが変わっておったり、歩道が自転車置き場になっておる。不法駐輪、不法駐車は許されんからな。そしてそんな車を押し入れる時間貸しの駐車場に変わっていた。いつも思うが他愛無い場所に愛着があったりするんだ、本屋や、デパートほっつき歩いて、やることもなくなり家路に帰るときにふざけながら歩いた道のりだ、そこが変わっていると本当に寂しいを通り越して悲しい。その風景がなくなることは二度と肉眼では見れないってことだ。心の中にしかもうないってことだ。
小学生、中学生、多感な時期と、しこたま歩いた商店街に出る。そこから俺たちが住み、遊んだ団地群があった場所が見える。そこには見覚えのない高層ビルが建っておった。ブルジョアな方々が住んで居られるるんでございましょう。鼻水垂らしたガキどもが闊歩していたとは思いもせずに窓から景色を眺め、コーヒーを飲んでいるのかもしれない。
振り返ると、ここを離れてどれくらい経つんだ?中学二年だったから、48年くらいになるのか、そりゃ風景も変わるであろう、このノスタルジックな思いは、傍から見ればいい迷惑ってことだ。
日曜日だってこともある、居酒屋で飲むにしてもそこそこ混んでいるのかなぁ、俺は酒を飲まないからあまり場所にこだわらない。まぁ良いんじゃねここでって感じで場所を選択するが酒飲みにしてみれば、それはよろしくないことなのかもしれないな。商店街沿いにある適当な居酒屋に入った。こんなとこあったっけ?と思うような場所だ。ELVに乗り込み3階で降りると多国籍の店員さんのお出迎え、どこの街に行ってもそんな感じであろう。学生っちゅーものが少ないのだから、学生がやるであろうアルバイトが少ないわけだ。俺らが若い頃はそんな学生がわらわら居った、それがわらわら居る多国籍の方々に変わったってことかな。以前は多国籍の人が居るとこは、上野と決まっていたけれどな。
先を見ている年齢じゃなくなると、何気に会話も弾まない。当たり前だよなぁ、そこそこ先が見えてきているのだ。お決まりごとの「最近どう?」ってとこから会話が始まる。俺の中ではYKの近況が心配だった。俺が何をしてやれるってことはないけれど、聞いてやることは出来る。だから、何だよって感じだよな。オサムが死んだのが俺自身のちょっとした岐路だった。俺と同じであっさり死んじまった。俺自身も、その可能性を秘めている、まぁ今日集まった連中は同じように可能性を秘めておるんだよ。健康診断が良かったからと言って長生きするとは限らない。突然、逝っちまうんだよ。これはギャンブルの法則と似ているのかもしれない。なかなか当たらないけれど、時々当たる!!
俺自身は、ぼんやりと病気で死ぬんだろうと思っている。それほど長生きする家系じゃないんだよ、だから、そこそこのところで逝くんだろうとは思っている。看取ってばっかだから、俺はベッドから見舞いに来る連中を見て、看取られたいんだよ。
YKから「仕事あるか?」って聞かれたから「仕事はあるけれど、歩くからね、きついよ」と答えた。俺の会社は最後のライフガードみたいに考えてくれればよい、絶対、仕事はあるからさ、でも、最後の最後よ。
NKは十代のころからコツコツと努力した賜物、俺らと遊んでいるときも、「これから講習があるから」とか言って去っていったものな。相変わらず、話に落ちはないが、昔ほど長くなくなった。これも歳のせいか。こいつは誰もが知っとるネームバリューのあるとこに居る、ある意味安泰。同じ生き方は出来そうにないから、うらやましいとは思わない。
そんな取り留めのない話をしておったら、遅れてKYがやってきた。相変わらず、デカイ!我らがリベロ!ふと思うと、元気にやってるかなぁっと頭に浮かぶヤツ。小学校から一緒なのだから、長い長い付き合いである、共有している世界観が多すぎる。同じ街に住んでいるときは、毎日のように会っていた。歩いて戻れる距離って大事だな、当たり前だけれど。
世界観の共有は関係を身近にする。十代のころは主に学校関係だな、そっから近い世界っちゅーと職場になる。ある意味四六時中居ることになる、だからと言って友達の関係というわけではない、それこそ腐れ縁である、仕事の関係がある限り、切っても切れないが仕事が切れると一緒に切れるもんだ。友達は違う、他の世界観に関係なく継続してゆく不思議な関係だ。夫婦も不思議な関係ではあるけれどな、これも各人関係性は似ているようで違うんだと思う。
オサムは10年前にかみさんと別れておった。うーーん、何故に言わんかったのか?時々、ぼんやりと考えるが答えを出すべきパーツが少なすぎて答えに至らん。だから、お前が死んだときにすったもんだしたんだよ!それが分かっておったら下らん遠回りをせんで済んでいた。まぁお前も死ぬとは思わんかったのだろうがな。
オサムが亡くなった折に元かみさんと接触した時が答えを聞き出せるチャンスだったが、顔見知りであるけれどもという程度では、そこまで切り込むことも出来ん。まぁもう会うこともないであろうから、俺が死んだときに直接会って聞く以外に術はあんめい。人それぞれ自分自身で判断し、行動する訳でそれに関しちゃとやかく言うことは出来ん。致し方ない。
最後に俺たちがよー遊んだ、団地群の形の果てを確認に行った。全部が全部無くなった訳ではない、団地に隣接するように建っておった工場が残っておる。そして通称電車区!いつも電車から見えていたし、自転車飛ばして遊びに行ったし、直線をバイクで吹っ飛ばし練習した。昭和は良い時代だったよなぁ、ガキどもが自転車、バイクで乗り込んできても誰も注意せんかったもの、今だったら入り口は封鎖され、入ったら警察を呼ばれかねない!
工場の入り口は奥の方に申し訳なさそうに下がっていた。今でも車両の修理やメンテナンスをやっているんだろうか?アパートの目の前が職場って!こんな良い環境ないよな、笑っちまう。窓を開けるとみんなが住んで居る窓が見える。今頃飯食ってんのかなぁとか、俺が気になるあの子は今は何をしてる!とか、ありゃこんな時間までこの子起きてるよ!とか見れる。思春期の俺たちにとっちゃ刺激的な日々だった。そんな日に戻ることが出来んというのは何とも寂しい、皆そんな日々を通り越してくる。若くて血気盛んな頃には、振り返る何ちゅーことはしないんだけれど、歳を食うと昔懐かしの日々を思い出す。このアパートは未だに夢に出てくるんだ。
今も変わりなく残っている景色におっさんは目を輝かせるのだ。これからもこの街並みは変わり続けるのだろう。昔のようにレスポンス良く動くことは出来ないし、閃きも少なくなった、若い頃に比べっと我慢が出来るようになったか!歳食ってもうれしいこと、楽しいこと、そして悲しいこともある。次の機会も変わりなく会おう。
