あなたを育てた、お母さんに会ってみたい

 今まで、何度か、「あなたを育てた、お母さんに会ってみたい」 と、言われた。 俺を通り越して、おふくろかよ? と、思った。 俺の先にいる、おふくろの存在を感じさせる、育て方って、なんだ? ちょっとばかり、腹が立つ。 そーだよなぁ、俺にしても、弟にしても予想外なことをすることが定番であった。 俺の悪さは、なんちゅーのか、予想の範疇ではあるけれど、弟の悪さは、俺を見ている分、先へ行っている悪さだったのかな。 郵便物をかっぱらったり、色々面倒なことしでかしておった。 警察沙汰は、俺だが、弟は、そーいったことはせんが、ちょいとばかり、厄介なことをしでかした。 
 おふくろは、無知な人だったから、無知ゆえの強さみたいなもんがあったのだろう。 気が強いから、俺にしてみれば、かなり、厄介だった。 気が強い女とは、付き合いたくはない。 それくらいに身に染みて、感じている。 おふくろ曰く 「気が強くなければ、生きてこれなかったし、あんたらを育てられなかった」 その通りだな。 

 俺んちの家族は、てんでばらばらである。 バカ親父は、生きちゃいるけれど、どこに居るか知らんし、気にも留めん。 おかしなもんで、おふくろが死んで、実質、血縁者がいなくなったとき、思い出すことが出来んかったバカ親父の顏を思い出せるようになった。 不思議なもんだ。 だからといって、会いたいとは、これっぱかしも思わん。 この家族がてんでばらばらの原因、我儘がある。 この我儘という血は、気が強いことと同じくして、俺の中に流れておる。 これ又、よろしくない血である。 この二つに関しては、良い方に転ぶことは、めったにないので、なるべく押さえるようにしておる。 おふくろがよく、「じいさん、ばあさんの教育は、男を育てる教育だった あたしが男だったらよかったのに」 ある意味、そーだったから、俺と、弟を一人で、育てることが出来たのだろう。 

 俺自身、自分自身の性格をよい性格とは、これっぱかしも思っちゃいない。 優しいとも思っちゃいない。 破天荒にずれていった性格を修正してくれたのは、弟だと思っている。 弟の死がなかったら、俺は、相変わらず、破天荒なまんまだったと思う。 アホだということを自覚しておったけれど、それを自己修正できる力はなかったから。 
 
 弟を焼き場に入れるとき、「バカヤロー!!」 って、叫んだんだよ。 何をやっているだと、止めたんだ。 そんときのことが、後々まで、ギクシャクした。 おふくろ曰く 「雅美を連れてゆく、神様に文句をいう機会は、今しかないと思った」 と、言っておった。 ある意味、神にさえ、文句いう人なのだ。 今は、何となく理解出来るが、当時は、お互いの理解が足りなすぎる時期だったからな。 

 今も、おふくろの事を思い出しちゃ、反省するし、考えたりする。 まだまだ、負けているな。 頑張んねぇとな。 そんな俺も、47歳になっちまったよ。 「40歳の頃には、離婚して、二人を育てていたんだからね」 と、絶対に言われる。 判ってますってば。