五十の舞 その7

 トイレを終了し、止めどなく流れる人の波に戻ると、ゼッケンは10000代になっておった。 用を足している間にかなりのランナーに抜かされたようだ。 致し方ない。 レースが流れ、コミューンが変わると、スピードも変わっている。 ちょいと遅いくらいのペースから、かなり遅いペースに変わっておる。

 曲は、REOの ロール・ウィズ・チェンジズ が流れていた。 軽快なピアノの繰り返しのリフと共に人の流れを抜かしながら走っていた。 青梅を走れていることに喜びを感じていた。 「気持ち良いぜベイビー!!」 口に出していた。 走っておるときは、大概のことは口に出している。 周辺に居る人も、走っているときは、不審に思わないだろう、みんなも同じように口に出しているのだから。 

 只々、気分が良い。 苦しい思いをすることが判っているのに気分が良いのだ。 何故だろう? 常々人に言うが、マラソンは身体に悪い。 えっ? と思うかもしれないが、健康に良い距離というのは、精々10キロくらいだと思う。 走り終わって、「あぁ気持ち良かった、ビールでも飲んじゃおーかなー」 っという距離である。  それを越えてくると、練習量も変わってくるし、身体のダメージも大きくなってくる。 練習をせんと走れないから、走るという構図でしかない。 練習をしないで、ハーフなり、フルが走れるのは、スポーツの部活をやっておる高校生だ位だ。 やつらは、成長期最前線で、動くわ食うわで、身体もメキメキ大きくなっている、そんな連中くらいしか居らん。 他は、みんな練習をせんと走れない筈だ。 
 おっさんで、元気ハツラツオロナミンCな人は、練習漬けだと思う。 記録=練習量だと思う。 こないだ読んだ本に、こんなことが書かれておった。 
 「野球選手だって水泳選手だって、体育の時間だけで練達したのではない。 国際社会で外国語の選手になりたければ、野球水泳の選手並に猛訓練を受けるべきである」 これは、何故に日本人の英語が中高の義務教育だけでは喋れるようになれんのか? ということへの答えである。 野球部の連中、バスケットボール、陸上、水泳だって体育の授業だけで、あそこまで上達する訳ではないのだ。 朝練、当然、放課後に練習をして、あそこまでなれるのである。 英語も授業だけではなく、個人的にも勉強せんと、喋れるようにはならんよと言っておるのだ。 マラソンも一緒だ、そのための練習をせんと、しっかりと走ることは出来んのだ。 もし、練習量の隙を埋める術があるとしたら、俺が嫌いな、気合若しくは、根性じゃないのかな。