相変わらず、ガラ携

 世間じゃ、スマホは第何世代になるんだ?5G とか言われているけれど、俺にゃ関係なく、相変わらず、わずか数パーセントしか現存しておらんガラ携所持者だ。メールに電車の遅延と乗換案内、天気予報が見れれば、不自由はしない。残念ながら天気予報は、サービスが終了しちまったけれどな。通勤電車の中で、やっきになってスペースを確保し、スマホをやっている連中の気持ちがさっぱり理解不能だ。笑っちまうくらいのスピードで画面をめくっているヤツを見ると、すまんがアホにしか見えん。
 そんな、スマホをやっている連中の気持ちがさっぱり分からないのに「スマホ脳」を読んだ。ちょっと前に世間で流行っておった。スマホをやらないけれど、やっているヤツの脳の動きを知りたいと思った訳だ。

 考えてみれば、家の中でしかパソをいじくれんかったのが、街中に持ち出せるようになった時点で、人は、ヤバかったよ。あんな面白いもんを街中に持ち出せ、気軽に人と交流が出来るし、発信が出来る。でも、四六時中やっておっていいのか?という疑問はある。俺も、パソ創世記に朝から晩までやっておったから、分かるんだ。すべてがパソに縛られてしまう。起きて、まず、パソを立ち上げて、掲示板の確認をしておった。当時は、掲示板か、チャットしかなかった。返信を打つと相手の返信が気になるわけだよ。今度は、職場のパソをちょろちょろっといじくって、返信の確認をしたりするようになる。この世界のどこかに俺のことを知って発信してくれる人が居るというだけ、刺激的だった。街中で、知らん人になんぞ、みんな話しかけんくせにパソの世界じゃ気軽に話しかけ、普段とは違う自分自身が存在したりする。

 エロい映像も気軽に見れるし、当時は、明確な規制なんぞなかったから、表立ってヤバいのがゴロゴロしておったし、2ちゃんねるも奇人変人のるつぼだった。世間もセキュリティが弱かったから、侵入しデータを取り出し、夜中に発信しておった。そんな面白いことが家から飛び出してやれるようになっちまったら際限なくなっちゃうよな。
 人格形成がまだ、ガキんちょの頃じゃ、影響は計り知れんよ。

 この本、精神科医が書いておる。だから、昨今の通院してくる患者の傾向から切り裂いてくる。鬱を疑って病院にやってくる若者が多いとのこと。欧米は日本に比べると、以前から精神科への扉の間口は開かれているように思う。仕事であれ、家族のことであれ、精神的に追い込まれると普通に精神科に行くという流れが出来上がっている。日本でも徐々にそういう傾向になってきてはいるけれどな。

 ここ数10年の周辺機器の進歩は、バイクに乗って駆け抜けてゆくような感じだった。走りだしは当然、スピードも乗っていなかったんだけれど、今じゃすり抜けをして先へ先へと突き進んでいる。プロだけが進化の担い手だったのが、素人もそれに加担し始めたことが原因しているのだろう。そして、端末の進化によって、より一層、発信が簡単になり、誰でも出来るようになった。スマホという端末を利用して。

 スマホという自由度の高い情報端末を手に入れ、使い方も自由だ。日本は、特に規制がされておらんから色んなことが起きている。掲示板、チャットと移行していったとき、本当に創世記から関わっている人に質問したことがある。掲示板でもチャットでも、クラッシャー、若しくはガイキチはいるのだ。バランスがとれた状態を壊しにかかる連中ね。そーいう連中は、昔っから居たのか?と質問した。そーしたら、「そういう奴は、昔から居るし、これからも居る。新しいものが出たらそれに移行してゆくだけで、絶えることはない」
 ある意味で、バーチャルな世界はすでに構築されている。その世界でだけ存在が認められる人たち。ネット空間の住民は、好きなように自分自身を繕うことが出来る。犯罪者は言葉巧みに獲物を釣る蜘蛛の巣を張り、偽りの世界の住人は、偽った世界を広げてゆくのだ。

 偽っているものだけがすべてではない。確かにこのコロナ禍で、SNSに助けられたという人も多い。言葉で発することは出来ないけれど、言葉を打つことでだったら、相手に伝えることが可能だ。匿名性を脱却すると、円滑にコミュニケーション出来、誰かを叩くということもなくなるんだろうな。

 今更、スマホを亡き者にすることは出来ない。何のためにスマホを使っているのか?ということを理解しておらんと、スマホがすべての生活になってしまう。その人の限界が、スマホということになる。裏を返せば、スマホがないと、何も出来ないってことだ。これから先、AIが進化して、一人一人にバーチャルリアリティーが与えられ、自分自身の好きなように世界を構築するようになってしまうのかな。自分自身の作った世界に押し込まれれば、人は、争わなくなるのかねぇ。