移動制限解除

 久しぶりにぎっくり腰になってしまった。ちょっとした油断だな。いい歳ぶっこいているんだから、気を付けりゃいいものを気を付けないんだなぁ、若いと思っているのかな。やってからいつも思うが、「あぁぁちゃんと気を付けて、立ち上がれば良かったのに」と思う。
 
 まぁ、だからといって、仕事を休める訳ではない。明日も、いつも通りに出勤する。そして、今日、移動制限の解除となった。俺としちゃ、何が変わる訳ではない。非常事態宣言が出てから、何の変化もなく仕事に出ておったからな、あっそって感じだ。

 まず、街に出て食事もせんし、酒も飲みに行かん。スポーツ観戦もしないしな、逆に在宅大歓迎だったのに在宅にならんかった。在宅だったら、本読んで、映画見て、音楽聴いて、ランニングして、健康的な生活を送っていたであろう。
 今回のコロナは、人としてのアナログ回帰になったのではないかと思う。結局、人は、顔を合わせて話をしなきゃ駄目だし、人が作っているものに不安を覚えたら、自分で作らなければいけないし、いっくらネットライヴ配信だったとしても、これ又、ライヴを目の前で見なきゃ駄目だっちゅーことに相成った。すべてが万事そういう訳でもなかったな、普段居らんかった旦那が家に居るようになって、不仲になってコロナ離婚なんちゅー言葉も生まれた。学校行けなくなって、万歳と思う学生も少なかった。こーいったことを経験した学生は、用心深くなるのかな。
 この混乱のおかげで、政治家に対して、根本的な力量を問うことが出来た。緊急時に要求される支持力であり、判断力がどういうものであるかを示すことが出来た。見る世界によって、判断の仕方は変わるからな。俺たちの見る世界と、政治家から見た世界は違うからな、只唯一、薄汚れた判断力だけはつけたくないもんだ。

 そして、この病気が、感染すると重症化する人と、感染しても普通に生活が出来、ウイルスのみをばらまく者に分かれるということもよく出来ておる。ウイルスによって、人は進化してきたという考え方があるが、ウイルスが体の体内に入って進化したという意味ではなく、ウイルスが流行することによって、人の生活が変化するという意味での進化も含んでいると思う。

 これから、夏になり、ウイルスが一時的な終息をするのか、変化ないのか。何にしても、秋口になると、どこからの国から、胞子が飛んでくるように流行し始めるのだろう。この数か月の間に経済は、低迷した。株や、為替のレベルではなく、うちらの生活レベルで、低迷した。東京オリンピックを見込んで、稼いでやろうと思っておった連中は、足元からすっ倒された感じだな。俺は、5月に新婚旅行を予定していたけれど、中止しなきゃならなかった。みんな誰しも予定しておったもんが出来なくなったり、駄目になったりした。タイミングなんてもんは、人がコントロール出来るもんじゃない。3.11の時だって、何故、このタイミングで起きるんだと思ったけれど、条件はみんな同じだ。その瞬間に生まれる生命もあるだろうし、人生の岐路の人も居るだろうし、俺のように家族が入院しておった人も居るだろう。

 今回のことに関しちゃ、世界レベルで一緒ということだ。だから、気にしたって、しようがない。世の中の起きていることに目を向け、予測を立て、直感を信じてみるのも悪くない。元来俺は、直感の人だからな。