放置プレイになっちゃってんじゃん

 ふと、気づけば長いことアップしとらんかった。 日々平穏というわけではなく、山に行ったり、デジタルリマスターした昔聴いとったCDを買い直して、やっぱええなぁと思ったり、考えておることはあり、山に関しちゃ思うことを途中まで打ってあるのだが、日々の出来事のほうが当然先行する。 なもんだから、そっちにかまけてしまうんだなぁ。 

 例えば、タイムリーではあるけれど、ちょっと前にオウム真理教の林郁夫裁判に関する本を読んでおったり、カルトのリック・ルービンに鞍替えする前のElectricの元ネタPeaceとの合併アルバムを買って聴いとったりしている。 プロデューサーの違いで、あそこまで音が違うんだなぁっということがよく判るアルバムだ。 聴くと判るが、決してPeaceが出来の悪いアルバムという訳ではないんだ、時代に合っていないアルバムであり、カルトに合っていなかったんだ。 それに気づいたカルトも只もんじゃないよな。 リック・ルービンは、音からイメージする姿とは違い、輪郭は麻原商工。 

 しかし、地震が起きたり、大規模な自然災害が起きたり、マジに東京オリンピック大丈夫かよ? と、思っちまう。 だから、オリンピックが必要なんだというアホな政治家の言葉に踊らされたくはない。 根本的な部分で、人を奮い立たせるような言葉や、行動が必要だよな。 仮想や、理論では心と身体を結ぶことは出来んと思っている。 何が正しいか、何が正しくないか何てことは俺には、どーでもいい。 問題は、俺に合っているかどうかだ。 人の性格っちゅーのは、人生半ばを過ぎた辺りに突然、自分自身の本当の姿に目覚めるらしいぞ。 神の教えでもなんでもなく、親の教えや、社会の通念ではなく、自分自身に戻ってゆくらしい。 ちょろっと思ったことを打ってみた(笑)