ユーミンと養老孟司

 図書館で、養老先生の本を借りてから、妙に読みたくなり、そんなことをぼんやり考えておったら、落ちていた! 正確には、ゴミとして出されておったから拝借した。 俺は、拾った本を読むのが好きだ。 得した気分だから好きだというわけではなく、欲しいという欲求で手に取ったわけではなく、赤の他人の価値観で買った本だから、新しい発見があるからだ。 本棚とCDラックを見れば、その人が分かる!!
 
 養老孟司のバカシリーズ 「自分」の壁

 俺も、養老先生を知ったのは、「バカの壁」 である。 本の題名に 「バカ」 とは、なかなか付けない。 この後、「バカ」 と正々堂々と付ける本が多くなったような気がする。 おぉっと目を引く題名に共通していることは、その題名とおりの事は語っておらず、哲学的なことを語っておることが多い。 

 さて、「自分」の壁 であるが、日本人の気質や、習性、考え方について語っておる。 今までもそうであったけれど、それだけについて語ったのかな。 本を読むと分かるが、まぁ物事を深ぁく深ぁく考える人なのだ。 

 面白かったのが、養老先生の趣味の昆虫の知識から、昆虫は、幼虫と成虫で、形が天と地ほど違う! これは、幼虫の固体と、成虫の固体が、お互い利害が一致し、一緒になっちゃおうとなったのではないか? というもの。 蝶にしても幼虫期は、葉をむしゃむしゃ食べる歯があるのに成虫になると、花の蜜を吸う管があるだけである。 明らかに違うよな。 さなぎの間に幼虫の形を一度壊し、再び、口をまるっきり別の形として形成しなおすのだ。 すげぇよなぁこれって。 だから、幼虫から、成虫に向かう期間を変態というのだ。 人で言えば、一重の典型的な日本人顔が、ライザップ並に二重になり、目がパッチリし、髪の毛が金髪になっちまうようなもんだ。 

 この例は、ダーウィンの進化論では解けないことがあり、物事を疑ってかかれという一つの例として出されていた。 どんな業種にしてもそーだけれど、天才といわれる連中は、人の言うことを聞かん。 だって、持論が正しいという結論の元、行動しておるからね。 だから、常識に囚われない。 
 俺なんかも、そーだけれど、本能が勝っている場合、逆らわないようにしておる。 だって、それは、正しいことだから。 俺の持論は、本能、直感は、いつでも正しいである。 これも、俺自身が海外に居って、こりゃヤバイという状況で、培ったもので、漠然としたもんではない。 それが、機能したときは、素直にそれに従うことにしておるのだ。 

 色んなもんが入ってきたり、新しいもんが出てきたり、それを受け入れて、身体も心も調子が悪くならないのなら、そいつを受け入れれば、良いんじゃね。 但し、身体なり、心が 「ちょっと、違うんじゃね?」 となったときには、疑問を持つべきだと思う。 

 最近、ユーミンのベスト聴いてから、何故か、「やさしさに包まれたなら」 が頭ん中に住み着いちまって離れない。 ふと、詩を口ずさんでみた。

 カーテンを開いて静かな木洩れ陽の
 やさしさに包まれたなら きっと
 目にうつる全てのことは、メッセージ

 今起きていること、全てに意味があるってことか、そしてそれを摘み取れるかどうかってことなのだ。 何となく、養老先生が言っておることが分かったような気がした。