こんなもんかなぁ

 友人がちょっとばかり遠くに引っ越した。 俺らくらいの年齢になれば、ちょいとばかり遠いところに友人が行っちまうのは、当たり前なのだが、あまり縁がなかった。 頻繁に転勤があるヤツも居らんかったし、そんじゃ海外に住むからなんてヤツも居らんかった。 いつでも周辺におるという感覚しかなかった。 

 本当にちょいとばかり遠いだけなのに何だかえらい遠いとこに行っちまったような気になる。 いつでも会えると思ったいたから、そー感じるのだろう。 当たり前と思った瞬間、大切さを忘れているんだな。 永遠のものなんてないことは理解しているつもりだが、実際は、それを失って初めてそんなことを思うのだ。 

 大切な瞬間を一瞬一瞬生きなければいけないと、耳にタコが出来るほどに聴かされているのにどうにもちゃんと理解していないのだ。 大人になっているのに困ったもんである。 時々、俺は、「大人になったのだろうか?」 と自問することがある。 確かに仕事もしておるし、社会のルールも理解しておるし、やって良いこと、悪いことも理解しているつもりだ。 そう、理解しているつもりだけだ。 
 何かにつけ、「俺って子供だなぁ」 と思うことがある。 例えば、未だに嫌なもんは、嫌なのだ。 大人なんだから、我慢しろよなぁっと思うんだけれど、駄目なもんは、駄目なのだ。 そして、頭にくると、「やっつけちゃおうかなぁ、こいつ」 とマジに思う。 50過ぎたおっさんが考えることじゃないよな。 恥ずかしい限りだ。 下らないことであるが、俺のやっつけなければいけないルールっちゅーのがあって、それは、今、この瞬間にこいつはやっつけておかなければいけない! と、思うヤツに関しては、その場でやっつけることにしている。 では、やっつけないときのルールは、何か? いつでもやっつけることが出来るである。 喧嘩は、躊躇しないヤツが勝つ。 

 感情に左右されて生きちゃいけないと大人は言うよな、でも、感情を持って、生きることが出来るのは、人だけなんだと思っている。 感情を黙殺されることで、その人らしさがなくなるんではないかと思うのだ。 確かにこれは、危険な思想だ、そして行ったことには責任を取らなければいけない。 

 今、この瞬間にやらなければいけないと思うことがあるとしたら、それをやることによって、何を犠牲にしたとして、それがそこまで価値のあるものかどうか? それを考えるべきなのだ。 

 正月に会う機会があったのにそれを仕事の連投で、疲れていることを理由に行かんかったことは、後悔に値するよな。 そうだよな、何を犠牲にすべきか? 疲れて、木っ端微塵になればよいのである。 仕事を遅刻しようが、サボろうが大丈夫だったのだ。 おっさんだからやっちゃいけないって? そんなことはないと思う。 何が大切か? ってことだよな。 

 生きておって、どこで根をつめればよいか俺は判っている。 俺の悪い癖は、「これくらいで良いだろう」 って、手を抜くことだ。 自分自身は、もっと出来ることが分かっておって、手を抜くのは、いかんよな。 自分だけが分かっている理由ってあると思うんだ。 どこで、手を抜いたか? マラソンにしても、まだ、伸び代があることが分かっている。 そこには、俺だけが分かっている手抜きが存在しているのだ。 こんなもんかなぁっていうのが駄目なんだ。