ウォリアーズ

 ガキの頃に観た映画というのは、猛烈に脳髄に叩き込まれておって離れんもんだ。タクシー・ドライバーは、俺の中ではその最たるものだ。改めて見ると、トラビスぶっ飛んじゃっているものな、まともじゃない。モヒカンにして、大統領候補やっつけに行こうと思ったけれど、売春組織をぶっ潰すことにしただからな。でも、当時は、それを定理として間違っていないと思っていたんだから、俺もまともじゃない!!俺は、タクシー・ドライバーが原因で、NYに行ったのは、間違いない。

 当時の危ないピリピリしたNYは、俺たちにとっちゃ憧れであり、しょんべんたれのガキが行っちゃいけないところだと思っていた。通りに出た瞬間に裏道に首根っこつかまれて連れて行かれて、帰って来れなくなっちゃうと思っていたもんな。そんな俺のNY感を決定づけた映画がある。ウォリアーズ だ。

 ストリートギャングなんて言葉、向こうでもう死語なのかもしれない。同じ服着た小汚いチンピラ集団である。内容は、ストリートギャングを束ねて大物になろうとしておったサイラスの呼びかけにギャングたちがブロンクスパークに集まって集会をするが、そんだけ、ちょい悪集団が集まると、一人くらいは邪魔してやろうってヤツが出てくる。サイラスは撃ち殺され、その犯行をウォリアーズの仕業にされてしまい、ブロンクスから、故郷のコニーアイランドに逃げ帰るという話だ。そうそう、この映画で、コニーアイランド覚えたねぇ。

 久々に観て、集まる公園がセントラルパークだとばっかし思っていた。実は、ブロンクスパークだったのね。オープニングの疾走する列車に被せてタイトルが出てくる。よーく見ると、スプレーで書いた文字を模していたのね。NYの地下鉄って、落書きだらけで、一人で乗ると襲われちゃう!!っていうのが当時の評判だった。実際、薄暗くて、人が居らんとマジに怖い。でも、24時間運行しているって、凄いよな。ちなみに時刻表なんてぇーものはありません。しかし、地下鉄構内をストリートギャングが闊歩して入れるシーンが、今見ると業とらしい。

 出てくるストリートギャングも笑える。スキンヘッドのガンムチ軍団、ターンブル。へなちょこ軍団、オーファンズ。バット持って走りづらかろう、KISSのようなペイントのベースボール フューリーズ。そして、リフス、テレビ放映時にカッコして禁煙って書いてあったのには大笑いした。途中途中に入る魅惑的なたらこ唇の黒人のDJ。

 とにかく、太陽にほえろ!並みに走る、走る、走る!邪魔する敵をやっつけて、又、走るのだ。これが疾走感を与えておる。15、6の小僧が観ると、アドレナリンがドバっと出てしまうのだ。
 ラストに流れる、ジョー・ウォルシュのイン・ザ・シティーがカッコいいんだ!!

 今となっちゃ、この手の男汁全開の映画は、好まれなくなった。監督のウォルター・ヒルも、ブロンソンの「ストリート・ファイター」エディ・マーフィニック・ノルティの「48時間」と、男の印象に残る作品を残しているが、今は作品は撮らずに制作に回っているのかな。今撮ると、同じようなもんは撮れないと思う。隠し味として、70年代、80年代という時代背景があるように思われる。NYも、昔のピリピリ感はなくなり、世界のランドマークとしての役割を担っている。街を歩いても、研ぎ澄ますような感じはないんじゃないのかな。

 70年代の映画って、時代の持っている緊張感が画面に現れている。見ているこっちにも伝わってくるんだ。計算なんてされておらず、CGなんてものはなく、役者もゴツゴツしているのが良いのかな。完璧であるということが良い訳じゃないんだ。荒さと勢いが大切だと思う。