七回忌

 俺事であるけれど、おふくろの七回忌だ。 俺自身は、まだ、6年しか経っていないのかと感じている。 おふくろの関しちゃ、当然、俺よりも年上だし、死んだことは納得している。 だが、俺自身の不甲斐なさがあり、ちゃんと送ってやれなかったと今でも思っている。 それは、きっとこれからも思ってゆくんだろう。 これに関しちゃ、俺を慰める必要も、気にかける必要もない、俺自身が思い、解決すべきことである。 

 そして、おふくろを送るときに友人たちに力を借りたことを忘れることは出来ん。 あの七転八倒の8ヶ月、人生の中でも笑ってしまうような真摯な対応だった。 おふくろも 「私も、あんたと同じことは出来ないと」 と言っていたが、俺もおふくろと同じことは出来ません。 俺も仕事柄、日曜日に休むことが出来ん、世間では往々にして日曜日が休みだ。 そーじゃない人たちも沢山おるが、人を集めるなら、日曜日が無難である。 

 今年の正月、友人各位を召集することが出来んかったから、おふくろの法事に託けて集めようと思った。 突然、思い立ったように暑い盛りに招集をかけるよりは、おふくろの法事のようなものを実施しますと集めるのが良いかなぁっと思った。 

 半世紀も生きておると、みんな仕事に忙しい。 一月前に日付を打診すれば、予定を立てられるヤツは、立てられるし、立てられんヤツは立てられない、当たり前か。 ちょっと余裕を持って設定してみた。 人数が少なかったとしても集める気であった。 集まれるときに集まらなかったら、会えなくなるかもしれないからな。 

 28日は、墓参りをして集合場所に合流と思っていたが、律儀にHとロシア人(中年に入り、丸みを帯び、しかし身体つきは相変わらずゴツく、小型のヒョードルのようだから)は墓参りに付き合ってくれた。 ここ数年は、彼女と二人で、ひっそりと法事をみたいなもんをやっていた。 彼女は27日に行けないので、14日に行って来た。 
 おふくろへの供え物は決まっている。 梨だ。 実家の近くに梨園があり、ガキの頃から食っていた、当然、おふくろも好きだった。 夏の仏壇のお供えもんは、梨と決まっているしな。 前日にちょっと高めの梨を一つ買い、ビールを買った。 酒を飲むわけじゃないが、ビールをグラスに半分ほど飲むことを好んでいた。 

 水道橋博士に5分ほど前に着いた。 ロシア人がいつも遅れるので、まぁこんなもんだろうと思い、改札を出て本を読む場所を探しておったら 「merohi」 と呼ばれ、振り返ると、Hとロシア人。 事前に普段着でよろしと、連絡しておったから、超普段着の二人がおった。 うちのおふくろは、格好とか、仕来りとか気にせん人だった。 

 我が家の墓は、流行というか機械式のやつだ。 カードを入れると、認識され、お墓共々機械式駐車場のように運ばれてくるという仕組み。 墓を磨くことはないし、管理の必要もない、線香を持ってゆく必要もないのだが、10時から18時だったかな、営業時間が決まっておるのだ。 テレビや映画みたく突然墓参りがしたくなって明け方にバイクをぶっ飛ばして行ったとしても開いておらんという訳だ。 又、花も飾れないし、お供えもんも置けない。 置くことは出来るが持って帰らなければならんのだ。 味気ない。 

 川崎に代々の墓はあるのだが、ばあさんが頼み込んできても頑なに入れんかった。 おふくろが死んだとき、川崎にある墓に入れることを考えたが、そこまで頑なに入れることを拒んだところに入れたりすると、夜な夜なおふくろが化けて出ることは十中八九間違いない! 俺としちゃ、先に行っておるじいさん、ばあさんと願わくば、それなりに良好な関係を営んでおることを願わずにはおれん。 

 おっさん三人で、おふくろの墓に手を合わせ、地元に移動し、飲むことにする。 しかし、数年会わんと微妙な変化があることに驚く、まぁ老けているんだ。 当然、俺自身も皆と同じように老けてきているのだ。 老けなきゃおかしい。 他の半世紀生きてきた連中に比べれば、若いと思うが、髪がなくなったり、薄くなったり、白いもんが増えたり、周辺事情が変化したりと当たり前のことだが、時間の経過を感じさせずにはいられないのだ。 悪いこっちゃない。 

 さて、どこに入るか? 面倒がない居酒屋か、焼き鳥屋が良い。 普段、酒もタバコもやらんから、そーいうところに行くのは、こいつらとしかない。 まず、親しくないヤツのタバコの煙を浴びたくないし、吸い込みたくない、気性も飲み方も暴れ方も判っておるから、居られるのだろう。 最近は、職場の連中とも飲みに行く気はない。 知り合いになるのに手っ取り早いのは飲みにゆくことだということは、元酔っ払いであるから判っておるが、半世紀生きて、その手のことに時間を割くことが嫌になった。 

 以前読んだ本に書かれておったが、本当の性格というのは、50歳過ぎてから出てくるらしい。 その年齢になると、育ちやら教えといった呪縛から開放され、本人らしさが出てくるらしい。 性格が直らないというのではなく、知らんうちに解体、再編成されているのだと思う。 

 みんな、それぞれ仕事も違う。 人それぞれ人生が違うわけで、着きつく先も違ってくる。 人と人を繋げておるのは、仕事であったり、学校であったり、趣味の仲間であったりする。 そーいう繋がりから硬い絆なることもある。 結婚する場合、大概職場結婚が多いじゃない? 趣味の場合もあるわな。 だが、極々普通の友人関係を営むのは、難しい。 仕事で顔を合わせておれば、繋がりはあるが、離れたり、辞めたりすると、そこで切れてしまうもんだ。 仕事の場合は、上下関係というわずらわしいもんがあるから、築けないのだろう。  

 中坊時代から知っておるから、偽っておったとしても見破られてしまうわけだ。 面白いのは、各人微妙に役割が分担されておることかな。 俺は、俺の役割があり、HにはH、ロシア人にはロシア人、悪友KにはKの役割、今回来れなかったけれど、KにはK、IにはIの個性があり、居てもらわなければならないのだ。 しかし、絶対はない。 だから、集まれるときに集まれる連中だけで、集まればいい。 

 この年齢になると、ある程度のことは分かってくる。 当たり前か。 心配事があったとしても、人に相談することはしなくなる。 それは、相談してもしようがないことで、最終的には、自分自身で決めなければならないことを理解しているからだ。 もし、打ち明けることがあったとしたら、それは、相手の意見を聞きたいだけなのだ。 半世紀生きて、今更、どうしよう? なんてぇ出来事はない。 

 今回、飲み会に彼女を誘った。 付き合いが深くなって、俺自身のことをよりいっそう知りたい場合、肉親に聞くのが一番手っ取り早いのだが、おふくろも弟も居らんから、俺の友人に聞くのが早いと言った。 だが、今まで笑い話として、数々の酒に伴った俺の武勇伝や、ハチャメチャな話、聖なる酔っ払いの友人の話をしたら、会うのが怖くなったと言っていた。 俺のハチャメチャな話は、聞きたくないようなのだ。 途中から、俺もしなくなった。 

 彼女が居らんかったら、俺は多分、今頃日本には居らんかったであろう。 自分自身の思うがままに生きていたと思う。 それは、それで、緊張感溢れる日々であったろう。 そんな俺をストップさせる為におふくろが送り込んできたような気がせんでもない。 まぁ、そのうち紹介する機会もあるであろう。 

 こんな、俺をありのままに受け入れてくれる人は、そう居るもんじゃない。