あれ、俺やっちゃった?

 その扉の向こう側には、何があるかは、開けてみないと分からない。 人は大概、慣れ親しんだ扉のみを開けるんだな、だって、見たことない扉を開けるのは勇気がいるだろ? だから、いつも同じ扉を開けて、いつものように中に入ってゆく。 
 だが、いつもの扉のはずが、予想もせんかった方向に導かれることがある。 扉扉って何の話をしているんだ? この扉というのは、普段の生活の中の扉であり、岐路に立ったときに開ける扉でもある。 

 予想もせんかった方向に導かれる扉? 例えば、いつも使う道を歩いておったのに事故に遭ったり、運命の人に出逢ったり、確かめもせずに開けて、思いもよらんことに出くわすことは、多々ある。 小さいことでは、いつものように出勤し、いつもの電車に乗ろうと思ったら、ホームに人が溢れておって、人身により停車! それでも、当たり前のように振り替え輸送やら、別ルートを選択して職場に向かったり、学校に向かったりする。 

 人によっては、その扉を開けると、間違いなく厄介ごとに遭遇することが分かっておって、扉を開けるもんがおる。 清原もそーなんだろうなぁ、薬物に手を出せば、どーいう風になるかは理解しておるはずだ。 何もかも手放しても良いと、その瞬間は思ったのだろうか? 一時の快楽は、その瞬間だけでしかない。 もし、永久に続くとしたら、死んじまって、そのことに気づかずに居るんじゃないのか? だったら、その方がいい!! というかもしれないけれど、そー上手くゆくもんじゃなく、必ず、その代償を払わされることになっておるのだ。 

 落下するって感覚は、大人になると、自分から行うことはない。 落下する? 自堕落になるってことじゃなく、本当に高いとこから落下するってことね。 ガキの頃は、高いとこから飛ぶとか上るとかって、当たり前のことじゃない? 大人になってやるのは、自衛隊か、消防隊、クライマー位か? 時々、思い出すのが、予期せぬことで、落下しちまうときの腹の下がスーーーッと冷えるような感覚。 「ありゃ、俺落ちちゃっている?」 って感覚と同時に重力には逆らえずに地面とこんちはし、激痛が待っておる。 跳び箱からすっ飛んだり、滑り台から落っこちたり、ベッドから落っこちる。 大人になると、「あれ、俺やっちゃった?」 って思う。 

 この、「あれ、俺やっちゃった?」 感覚を持っているヤツはいいんだけれど、そーじゃなくて、それを楽しんでおる連中が居って、そいつらは、大概、犯罪者と呼ばれる方向に行く。 成功者の中にも、そーいう人は居るけれど、犯罪者紙一重ってヤツだよな。 

 最近、目に付くとこにそーいう連中が増えてきたように思う。 確信犯であり、自分自身の行ったことを後悔しない輩。 俺、個人的な意見は、そーいう連中は、見つけた時点で、潰しておくべきだと思う。 戦時中でもない限り、世の中のためにならんよ。 人の痛みを感じん連中は、自分自身で、痛みを感じてくれ。