Henro walker 5月15日

 休憩を終了した人たちから、山に消えてゆく。 山は、登り始めたら、引き返すことは出来ん。 マラソンのように 「あぁ、もう駄目だ、棄権します」 と言って、回収車に回される訳ではない。 キツくても、苦しくても、痛くても、助けてもらえるところまで行かなかったら無理だ。 そこそこ身の危険もあるしな。 
 みんな、順番に立ち去り、俺とおじさんだけになってしまった。 「さて、登りますか」 おじさんの服装は、スポーティーな恰好に山谷袋を持っていた。 山谷袋だけが、お遍路さんのアイコンだった。 人それぞれの旅のスタイルがある。 基本に忠実になる必要はないのだ。 俺の場合、逆に身の安全の確保を考えて、アイコンを選択した。

 再び、登坂に向かう。 高尾山ぐらいの角度かと思っていたら、角度もあり、只、ずーーっと登り、切り目なく登り。 先行で進んでいたスポーティーなおじさんを抜かし、自分のペースで進む、とりあえず、ペースを落さず、ガンガン進む。 登坂は、適度な傾斜があり、途中に平地や、下りがあり、呼吸を整え、再び、登坂に向かうという流れなのだが、ここは、ずーーーっと登坂。 
 
 俺の脚って、実は、適度な強弱がないと、動き続けられないのだ。 山あり、谷あり状態が条件。 だから、ずーーっと、登りだとどっかで、エンプティーになる。 ガンガンガンガン進む、呼吸を整えるために休み、後ろから、スポーティーおじさんが抜かす、ガンガンガンガン進む、呼吸を整えるために休み、後ろから、スポーティーおじさんが抜かすというパターンを数回繰り返した。 「あぁこのまんまじゃ駄目だな」 と気づいた。 
 スポーティーおじさん息切れもせずに一定のペースで、進んでいることに気が付く。 抜かしていっても、結果、抜かされるってことは、プラマイゼロじゃねぇ? だったら、おじさんのペースで、登りゃいいんじゃねっと、思った。 
 「どうぞ、ぬかしてください」 と言われ 「私のペースで、登っても、ばててペースが取れないので、後ろから着いて行きます」 「そうですか」 ここから先、おじさんの後を着いて行く事にした。 

 登りながら、何故にばてるかを考えてみた。 歩く場合、身体を真っ直ぐに保つことで、体幹を使い歩く。 山を登る場合も、同じように身体を真っ直ぐにしないと、体幹は使えないはずだ。 てぇーと、登坂を早く登ろうと思い、足を前へ出すと、身体の傾きを保つために物凄く腹筋を使わんと駄目だ、なんといっても、背中に荷物を背負っておる訳だから、そいつも込みで、真っ直ぐに保たなければならん。 こりゃ無理だな。 だとすると、どーすりゃ良いんだ?  荷物が思っている以上に曲もんだ。 当たり前だな。 

 「こういう急な登坂は、歩幅を大きく取っちゃ駄目なんだ、歩幅を狭くとって登らなくちゃ駄目なんだ」 なるほど、歩幅を狭くすれば、身体の傾きも大きくならずにすむ訳だ。 思っている以上に暑くはないのに汗は、出る出る。 大半が鬱蒼とした木々の中を抜けておったが、時々風景が見える箇所があるが、今日は濃霧が掛かっている。 自分たちが進む山道さえも、濃霧が掛かっておった。 まるで、別な空間へ誘われているようだ。 
 1200年も、前からこの道をお遍路が登っておったことを考えると、感慨深い。 みんな、どんな気持ちで、登っていたのだろうか? みんな、命がけだったのだろう。