死ぬまで、現行モデル

 先月末に今期最後のレースに出走する予定だったが、前日に仕事に出ることになってしまい、疲れがまるっきり取れず、出走を諦めた。 今月は、色々詰まっており、タイトだったので、土曜日の休みに疲れを取り、出走しようと思っておっただけに出勤が決まった時点で、ちょっと無理かなぁという気持ちはあった。 雨であるのも原因だ。 疲れが取れず、尚且つ、雨、そして、移動距離2時間半は、無理だな。 フルを走る場合、ベストコンデションが条件だ。 ただでさえ、アップアップなのだ。 

 職場の上司が、身体の調子を悪くし、現状も芳しくなく、検査段階から、脱しておらん。 こーいった状況になると、言われるのが、健康は宝である。 俺らのように片手、50代にかけているもんは、いつ、病気になってもおかしくない。 車や、バイクじゃないから、エンジン載せ替えや、マイナーチェンジ、部品交換があるわけじゃない。 パーツ交換をしたとしても、向上するわけじゃなく、むしろ劣化に近い。 死ぬまで、人は、現行モデルのまんま行かなきゃならない。 今後、医療や、DNAレベルで、パーツ交換はあるかもしれないが、若返りはないのだ。 現行モデルのパーツチェンジでしかない。 部分的に新品になったとしても、他の部分が古かったら、結局、劣化速度を上げてしまうことになるかもしれない。 
 俺の身体も、そこそこ動いちゃいるけれど、自分自身の思った通りには、動いちゃいない。 「おかしいなぁ、何で、こー動かないかなぁ」 と、思うことが多い。 いつ、死ぬかわからないし、いつ、病気になるかもわからないのだ。 だったら、思いっきり、自分のやりたいことをやるべきだというところに落ち着くのだろう。 転ばぬ先の杖の為に生きるか、転んでもいいから、思い切り走る。 どっちかっていうことか。