でも、実写版は、期待してないから

 CSで、パトレイバーの特集が組まれ、観ておらんかったテレビ版、OVAを観た。 あれだ、実写版の番宣を兼ねておる。 押井守を追いかけて、出くわしたパトレイバーである。 もちろん、映画版から入ったから、映画版のみでの解釈であった。 ガンダムの 「逆襲のシャア」 だけを観て、解釈しておって、映画版Zを鑑賞し、「あーそーなんだ」 っと、流れを理解できたのと似ておる。 

 思ったのは、テレビ版、OVAで、抜け落ちておった部分をしっかり保管した。 何かで読んだが、押井はアニメパトレイバーの下敷きを部活のノリで、作ったようである。 ある意味で、ロボットもののうる星やつらなのだ。 だから、めがねのその後が、シゲさんになっちゃうのだ。 そー考えると、ゼネレーションの広がり方も理解出来るし、当然だが、映画版の役割は 「ビューティフル・ドリーマー」 なのだ。 同じ入り方をしてしまったということだ。 

 テレビ版は、予算関係で、セル画の枚数の少なさ、時間がないから、緻密なメカを描けなかった。 それが、俺をテレビ版から遠ざけたのだろう。 映画のレイバーの描かれ方に感動したから、テレビ版の陳腐さにちょっと、引いたわけである。 

 そして、流れとして、再度映画版を鑑賞した。 パトレイバー2のほうに肩入れしておったけれど、改めて1の方を観ると、全然悪くなく、映画館で、これを観たら衝撃を受けるなという印象持つ。 テレビ画面で、映画を観るときに思い描くのは、これを劇場のドデカイ画面で観たら、どーなるか? ということだ。 16:9の画面で観た時にどーいう風に映えるか? っちゅーことだ。 最近の傾向で、ビデオカメラでの撮影が主流になって、「ホント、大画面で観ることを考えて、撮っているの?」 と、言いたくなる映画が多々ある。 特に日本の映画は、映画館への集客よりも、メディア化されたセルの方に重点を置いている印象受ける。 一世代前の監督連中は、映画に対するこだわりが大きかったからな。 

 1の方は、映画としてファンに観せたいという情熱がある。 原作のヘッドギアとして機能しておったような気がする。 2になると、情熱よりも、技術で観せている気がする。 結果として、俺のようなファンを得ることになったんだろうけれど、そして、押井色が前面に出てしまっている。 軍隊、謀反、犬、組織が押井は大好きだからな。 でも、ここら辺の部分を実写の映画では、上手く使えておらん気がするんだ。 まぁ、あくまでも隠し味であるけれど、これがマニアックさを加速させることになる。 

 でも、実写版は、期待してないから。