俺は、タバコも吸わんし、酒も飲まん。 だから、コンビニであれスーパーであれ、手に取らん。 でも、仏壇に供えるビールは買う。 「確認、お願いします」 普段買わないから、何を言われておるか合点がいかない。 コンビの店員も、マニュアルどおりの言い方すっから、なに言ってっか分からん。 ホント、コンビニ然り、ファーストフード然り、マニュアル言葉はやめてもらいたい。 妙に腹が立つのは俺だけか?
まぁ、やっている方は、「面倒だな!」 と、思いながらやっておるんだろう。 法律に引っかからないように自衛の策としてやっているんだろ? 何でもかんでもルール、法律、慣習で、世界は動いておる。 俺がルールや、法律の世界に身を委ねる訳は、楽だからなのだ。 楽だろ? そのとおりにやっておれば良いんだからさ。 「法律だから、守らなきゃいけない」 とか、「ルールだから」 って、心底思っているわけじゃないだろ? 考える必要がないから、それに流されるんじゃないのかな。 だから、逆手に取られることもままある。
そいつに慣れてくると、自制するために考えるようになってくる。 仕事をやっておっても、そんなことを考えておるし、上司もそれを中心に行動するし、はっきりと 「これで、何を言われても大丈夫だ」 と、発言する。 俺は、この手のルール、法律、慣習が嫌いなんだ。 嫌いなんだけれど、面倒だから、法律、ルールを守るという考え方。 よろしくないですな。 それでも、ニュースや、街中で、起きていることで、「それ、違うだろ!」 って突っ込みたくなることが多々ある。 得意というわけじゃないが、ルール無用の世界が好きなんだよ。 俺が世界に出たがるわけは、そーいった部分がある。 自分自身で考え、ルールを作ったり、予測したりしながら旅を続けることに興奮を感じている気がする。
普段、生活をしておる時、そーいったもんにリミッターが掛かっているんだ。 時折、外れる。 ここ数年は、そのストレスを緩和するためにマラソンをやっているんだと思う。 俺の中の旅とマラソンは似ているというのは、そーいった部分なんだろう。