畏敬の念

 彼女が、秩父遍路を先行して行っておって、秩父良いとこ、一度はおいでではないが、しきりに勧められた。 秩父は名前は知っておったが、埼玉にあるっちゅーだけで、殆ど知らんに等しかった。 「関東近県だろ? 大したことないじゃん」 いつもの勝手な思い込みがあった。 「じゃー、ちょっと行ってみようかな」 っていう感じだった、なんとも不謹慎である。 

 それが今じゃ、冬場のマラソンの時期を除き、せっせこ通っておる。 こんな近くに自然が多くて、面白いところがあるんだと、遊び場を見っけた子供だな。 東京から近いといっても、俺んちからだと3時間は掛かる。 思っている以上に遠い、始発に乗って秩父に向かうのにも慣れてしまった。 俺んちから、池袋に出て、そっから西武池袋線で、西武秩父にゆく、そっから数分歩いて、秩父線御花畑駅から更に奥へと向かう。 この秩父線1時間に2本くらいしかないから、在来線が遅れると、予定しておった電車に乗れず、次の電車はラッシュ時で30分後かな。 こっから先、全部予定が狂うわけですよ。 都内の電車だったら、1本遅れたくらいじゃ、5分後、10分後に電車がやってくる。 秩父タイムが存在しているわけだ。

 徐々に奥秩父に入り込み、なーんとなくだけれど、野生動物に接するんではないか? と漠然と思っていた。 俺の漠然と思っていることは、当たるのだ。 前回、秩父に行ったら、野生生物に触れる機会を得た。 触れる機会といってもだ、はい、ごめんなさいよ、なでなでとした訳ではなく、遠めで見たということ。 

 こんな、俺だけれど、都会育ちだ。 野生動物なんぞ、見たことがない。 ハトや、スズメは通勤途中で出くわすがありゃ、野生動物ではなく都会と共存しておる動物ってことだな。 野良猫、野良犬だって、所詮は、人とどっかで、共存しておる感がある。 山ん中におる連中は、そーいったもんじゃなく、隙なく人の動きを見ており、動きなんかも違うんだろうなぁという大きなくくりの考え方しかしておらん。 

 それがこないだ、橋を渡って下に川が流れておった。 下を除くと小動物が2匹水を飲みに来ているのが見えた。 狸か? と思った瞬間! 今まで見たことがないような早さで、山の中に消えていった。 野良猫が人の姿を見て、一目散に消えて行くのとは、わけが違う。 すんげぇー早いの。 「野生動物はえー」 って、言葉に出して言っていた。 狸や、アライグマにしては細すぎる。 考えた結果、ハクビシンではないか? と思う。 ドキューーンって感じで消えていった。 

 出発前の彼女からのメールで、「クマとは戦わないように」 と注意されていた。 俺も当然、ウィリー・ウィリアムズじゃないんだから、戦いはしないけれど、シュチュエーションで戦わざるを得ないということもあるんじゃないかと思っているんですよ。 基本、逃げの一手です。 

 「やっぱいるんだ野生動物」 と思いながら、先へ進んでいった。 山寺に向かって歩いておって、脇が川だったんだ。 何気なく見たら、何か居るんだ。 俺も対岸だから、安全だと思いジーーーッと見た。 ずんぐりむっくりした動物が草を食っているんだ。 鹿にしちゃ、足が太いし、短い、ポニーか? でも、頭に角があるぞ。 ジーーーッと見ても逃げそうになかったので、写真を撮った。 それにしても汚い。 この汚さは、野生動物なんだろう。 クマじゃなくって良かった。 

 その姿かたちを思い出して、ネットで検索してみた。 どうも、カモシカのようだ。 カモシカのような足のカモシカは、ずんぐりむっくりした力強い足をしておるのだ。 過酷な秩父の冬を越して、春になり、街中に現れたのかな。 その野生の力強さに畏敬の念さえ持ってしまった。 人なんか足元にも及ばないのだ。 俺自身が置かれている世界は、人がつくった仮想世界であり、その中でしか通用せんということを実感した。 自然、野生の偉大さを始めて痛感した。 この流れは、デカイ野生動物を見る流れなんじゃないかと直感は申しておるんですよ。