そんなわけで、今年もよろしく

 去年は、再び、会社を変えることになった。 居心地が悪い訳ではなかったが、配属された場所が良くなかった、結果転属願を出すも却下され、新しい環境へと旅立ってゆくことになった。 前は、メジャーな冠がついておったけれど、今居るところは、マイナーなとこだ。 差し詰め2軍落ちか? それでも、金払いは良いから、そこら辺は悪くない。 だが、全てが万事良い訳ではなく、その分、仕事はさせられることになる。 以前と同じでは、時間をこさえる事が出来なくなっている。 走る時間も、以前よりも少なくなっている。 その中で、マラソンのレースに出ているので、まぁなかなか大変だ。

 その割には、本を読んだり、映画を観たり、当然、彼女との時間もこさえている。 その分、体力がこの歳になって必要になり、基礎体力を挙げる事に努力している。 走っているだけでは、間に合わないので、スクワット、懸垂なんぞをやっておる。 そして、山にも頻繁に登るようになっている。 これも多方面に影響を与えているように思う。 

 夏の暑い盛り、秩父の遍路を歩き始めた。 今の基礎体力、精神力は、山に行くことで、養われたかな。 山の楽しいところは、自由だということだ。 この自由というのは、何もかも自分自身で決めるということだ。 ルート、ペース、装備品、そして、判断、すべて自分自身で行う。 確かに山には、ルールはある、あるけれど、それは、自分自身の身を守るための術だな。 最低限守りなさいよということだと思う。 自由だからといって、無茶をすれば、人に迷惑を掛けることになる。 それは、理解しているよ。 仕事が忙しくなって、それのストレス解消になっているんだと思う。 
 「仕事で、疲れて、休日に疲れに行くのか?」 と言われるけれど、俺自身にとっちゃ、間違いなくストレス解消だ。 自然の風景が、俺自身を癒してくれるのだ。 関係ないけれど、秩父歩いておって、300メートルくらい先の横断帯を何か動物が歩いているんだ。 犬かな? っと思ったら、背中に小猿を乗っけた親子猿だった!! 街中で、柵がないとこで猿を見たのは、初めてだ。 不思議な風景だった。 猿も俺には、気づかず、ゆっくりと歩いて山に向かっておった。 

 だが、今年、一番の出来事は、彼女とマジに別れそうになった事であろう。 ブログに打っておらんけれど、なかなか面倒なことになっておった。 当たり前のことなんだけれど、おふくろの具合が悪くなった時点で、殆どの事を自己判断で行うようになっている。 俺は、世間知らずだから、知らんことが多い、おふくろの入院中、色々と初めてづくしだった。 
 病中は、おふくろに心配かける事は出来ないから、何事も結果が出てから、報告しておった。 当たり前のことだが彼女との関係がこじれた時も自分で考えて判断することになる。 

 おふくろが生きておったら、おふくろに聴いていただろうなぁっと、つくづく思った。 彼女は、口が重いから聞き出すのに苦労をする。 その時点で、こじれてしまい、面倒なことになった。 俺自身は 「別れる」 と言葉にして、後から帳尻を合わせる性質なのだ。 昔っから、そーだが別れると決まると、彼女と一切連絡を絶ち、精神的な籠城に入る。 自分自身が起きている事で、傷ついている事を理解しているから、防御態勢に入るんだな。 どれくらいマジだったかというと、速攻で、北米徒歩計画を復活させ、具体的に計画を練り始めていた! あれだ、傷心旅行だ!

 計画を練りながら、「結局、ここに戻ってくるか」 と、思った。 こんな性分だから、別れた彼女の痕跡は、何から何まで消し去る。 当然、携帯番号、メルアドは消去して、自分から、連絡出来んようにする。 先だけを見るようにすると言っては、カッコいいが何のこたぁない先にしか進めないようにするのだ。 今回の場合、莫大な量の写真がある! 思い出の典型である。 こいつをどうするかなぁっと考えていたら、メールが来て、別れる前に言い残しておいたことを残らず打ってよこしてきた。 彼女曰く 「振り切るように去って行って、連絡をしないつもりであろう」 と感じ、この機会を逃すと、言う機会がないと思ったらしい。 勘がよろしい。

 メールの内容を見て、こりゃ再度、話し合わなければいけないと思った。 恥ずかしいが俺自身にも未練があったのだろう。 付き合い始めて3年目になっておる。 いつの間にやら、3年である。 どんなカップルも、3年目で危機が訪れるらしい。 こいつを乗り切ると、再び、数年後までは、大丈夫だったのかな。 そして、又、次の危機がやってくるのである。 俺が心を動かされたのは、「二人の関係は、奇跡だったよ」 という文面だった。 変わりもんの二人が、四国の身空で出会い、付き合っておったのだ。 普通に街中で出会ったら、お互い良い印象は、持たんかったであろう。 彼女は、常識人で、法をしっかりと守る人で、俺は、法律なんて、人が作ったもんだから、破るの当然、自由万歳だからな、そんな両極端な二人が一緒に居るのだから、人との繋がりは、何とも不可解で、面白い。 

 仲が修復され、川越マラソンに応援に来てもらい、俺が貧血でぶっ倒れ介抱してもらった。 2時間俺に付き添い、ベンチにじーーーっと一緒に居てくれた。 時々目が覚めると、俺の顔を覗き込んでおる彼女の顔が見えた。 その目は、心配している目じゃなかったんだ。 貧血で、ボーーッとしながら 「何、考えているんだろう?」 と、思った。 後日、聞いてみたら 「どれくらいまで寝ているのかなぁ、本を持ってくればよかった」 と、思っていたらしい。 それを聴いて、「彼女と一緒に居よう」 と、思った。 何か起きても、俺が守ってあげるばっかじゃなくて、ちゃんと行動してくれるということが分かった。 まぁ、四国で、足が痛くても歩いてしまうくらいだから、強い精神力は持っているだろうが、実感がなかった。 俺が不覚にも貧血でぶっ倒れることで、この人なら大丈夫、ついてゆこう! と、思った。 
 
 人との出会いと別れは、付きもんだ。 生きている限り、必ずやって来る。 人生のどこかで、掛け替えのない人を失う瞬間は、やってくる。 もし、目の前にいる人が、掛け替えのない人だとしたら、一緒にいるべきなんだと思う。 そんなこんなで、一年が過ぎ去り、今年もよろしくとなる。