クラッシュではなく、クラッシャー

 普段の生活のスパイラルっちゅーか、同じ生活の中で、ジレンマっちゅーのかな。 そいつには、定期的に侵される。 生活の中で、変化を発見する事が出来れば、そんなことはないんだろうけれどな。 俺の場合、仕事自体が下らん同じことの繰り返しであるから、実生活のマラソンの方がよっぽど、負担だったりする。 あくまでも金を稼ぐ手段と化している。 俺の年齢になって、仕事をそーいう位置づけにしてはいけないよな。 

 先日、中坊時代の友人に会い、刺激を受けた。 安心するというのではなく、あるべき姿をさらす事が出来るのは、楽である。 みんなも同じことを考えておったのかもしれない。 基本的なスペックは、みんな変わっておらん。 それに経験と、実績と、仕事が加算されただけで、俺達の中で見るのは、本質的な部分だけだ。 金を稼いでいるとか、若々しいとか、そーいったことはまるっきり関係ない。 でも、その中でも、各人役割がなーんとく割り振られており、それを自然に受け入れてる。 この役割が、また、昔っから変わっておらんから笑うな、多分、これからも永遠に変わらないんだと思う。 みんな、それぞれに家庭を持ち、養い、子供が居ったら、成長を楽しみ、人生を送っている。 そん中で、俺と、もう一人は、のらりくらりと生きておる。 俺は、人生というのは、自分自身の足元にあると考えている。 すべての歴史や、祖先、民族なんかを統括したもんが、足元にあるという考え方だ。 だから、俺の人生もこの足元で終了すると考えている。 身体を使って、その場所に運び、自分で感じ、見て、再び、歩くという考え方。 それを考えるとさ、このバーチャルな世界は、俺の理念というには、大それているが、その考え方とは、交わらんなと、思ったのだ。 多分、これが俺の人生なのかもしれんなぁ。 
 俺は、基本的に考え抜いて、決断するタイプではなく、直感が正しいと思っている。 インスピレーションで浮かんだ事が正しい。 しかし、インスピレーションを具体化するためには、考え抜かなければならない。 不思議なもんで、誰かを守らなければならないと思うと、それなりにそっちの方向へと、考えが流れてゆく。 そして、その考え方が普通になってくる。 俺は、元来、クラッシャータイプなのだ。 クラッシュしている壊れている人ではなく、壊してゆくタイプなのね。 ガンガン粉砕して、先へ進んでゆくタイプなのだ。 おふくろ死んで、俺が持っている本質に戻ってきている気がするのだ。 もしかしたら、俺だけが思っていることなのかもしれないけれど。

 なんにしても、人生は一度っきりしかない。 守るべきものがないのなら、好きなように人生を生きるべきだという考え、よく言われるところの 「人生は、一度きりだ! 悔いのないように生きろ!」 というヤツだ。