スポ根 その2

 去年、プロ野球パリーグの日ハムが優勝した。 栗山新監督が就任早々にして、優勝に導いた。 監督になるまで、野球解説や、理論を勉強し、それが一気に開花したように思えたが、そうではなく、選手をヨイショしまくったらしい。 考えてみれば、実績のないものが監督になり、選手にいうことを聞かせるのは、難儀する。 実績がないもんが監督になり、選手にいうことを聞かせるには、理論が正しいことが実証されんと無理だよな。 記録を残しているというのは、少なくとも肉体的には、理解しているということだ。 だからといって、人に教えられるか? ちゅーと、無理なんだよな、長島然り、新庄然り、天才肌であれば、あるほどに言葉で説明出来んのだ。 野村が言っておったが、「新庄は、凄いあたりのホームランを打ったとしても、何故、打てたか分からないから駄目なんだ」 よく言い当てている。 

 さて、学生、アマの世界ではどうなのか? 縦の社会が出来上がっており、先輩、コーチ、監督が絶対なのだろう。 そして、お題の体罰が出てくる。 俺が指導者として、凄いなぁっと思うのは、小出監督。 マラソン小出監督ね。 選手再生工場と言われ、数々の脱落していった選手たちを再生させ、メダルを獲らせた。 はじめっから、何十年一度の逸材と言われている選手にメダルを獲らせることは当たり前だよね、選手として、無理の烙印を押されてしまった選手を再生させるのは、監督の仕事としての本質だ。 小出監督、とにかく、褒める、褒めて褒めて、物凄い量の練習をさせるらしい。 「いいねぇ、いいねぇ、いい走りだよ、もう40キロ」 とか、平気で言うらしい。 怒りはしないけれど、練習は、半端じゃない。 褒めることで、人は伸びることは、結構前から言われちゃいるけれど、なかなか浸透しない。 学生、アマには、特に褒めるということが必要なんだと思う。 プロじゃないんだから、楽しむという部分は、残っているんだよね、そこを取っちゃうと、苦痛しか残らんよ、金が入るじゃなし。 まぁ、確かに甲子園は、そこら辺のことを念頭に入れてやっておるもんもおるだろうけれどね。 

 人にいうことを聞かせるために体罰をおこなうのか? 子供に対する体罰も一緒だよな。 何故、どうしてが抜けて、「何度言ったら分かるの?」 バシッ!! 殴られるから、やらないと理解すると、暴力を肯定する図式が出来るようである。 もし、試合が勝てなかったら、何故、勝てなかったかを考え、どうしたら良いかを考え直すのがコーチ、監督の役目だ。 今まで、うまくいっていたとしても、次は、上手くゆかんこともある。 それを出来んかったもんに体罰をおこなうのは、間違っておるだろ? 暴力は、一番単純で、簡単な方法なんだ。 じゃー、どうすべきか? 言葉しかないんだよ。 理論を如何に学生に分かりやすく説くか? ということだと思う。 
 親でも、訳の分からん事を言ってくるもんが居るけれど、それに対しても、ちゃんと理論で対応するしか術はない。 面倒だけど、そういう風にやらないと、無理なんだよな。 学生、選手はさ、コーチ、監督の代わりじゃなくって、彼らが戦うんだよ、指導者は、如何にして、彼らにベストを尽くさせるかを考える事が仕事だ。 日本に自由がないと言われるが、その理由は、お互いの権利が認められていないからだ。 コーチ、監督にも教えて、文句を言う権利があるように受ける生徒や、アマにも権利があるということだ。 そして、学生から、疑問が出たら、真摯に答えなければいけない。 
 問題の渦中にいる桜宮高校が学生は、橋下知事に面と向かって、疑問を投げかけ、納得するまで戦う権利はあるんだよ。 それが出来るのはさ、渦中に置かれておるもんだけさ、親も先生も関係ないよ、自分たちの問題だからさ。