切れ切れの頃のコッポラ

 今年の夏は、なんとも中途半端感がある。 暑くなる言われ、7月はそれを匂わす雰囲気プンプンだったが、8月に入り、さて夏休み本番ってときに寒くなったり、暑くなったりして、台風月間に突入した感じがある。 外は、雨風吹き荒れております! 出勤の方々、お疲れ様です、あっしは休みです。 といっても、夏休みではなく、只の普通の休み。

 台風も来ておるし、休みだ、こりゃ篭城しかあんめいということで、朝から、録画した映画を消化しておる。 そんな中に昔っから観たい観たいと思っていたのに機会がなかった作品がある。 コッポラの カンバセーション…盗聴… これ、ゴッドファーザーより、前に撮られたもんだと思っていたんだけれど、そのあとだったのね。 故に名作軍に挟まれ、映画好きにしか認知されておらん感がある。 

 コッポラは、トータル的に才能が有る人だと思う。 当然、監督、脚本家、音楽、そして、製作としての金集め。 これが結構大事なんだよ、これが出来るか、出来ないかが作品を作れるか作れないかの岐路になっちまう。 そーいった意味では、角川ジャンキー春樹は、製作者としては、良かったのに! 出来んし、才能もないのに監督業に手を出して失敗する。 まだ、懲りもせずに監督やっとるね。 この人が、自分の作品にだけ、固着せんでクロスオーバーに製作しておれば、ここまで日本映画も衰退せんで済んだのに! まぁ自力復旧して来たからいいけれどさ。 

 この映画、製作をコッポラ一人やっているんさ。 ゴッドファーザーのあと、映画会社にしてみれば、「こんな小品撮らんと、ゴッドファーザーの続編撮ってよ、コッポラちゃん」 ってなる。 

 アカデミー賞と獲るとさ、次の作品は、「えっ こんなの撮るの?」 っちゅーのを持ってくることが多い。 致しかたないことなのだ。 

 古い言い回しだけれど、スリラーなんだよ。 コッポラの根底にあるのって、きっと狂気なんだと思う。 ゴッドファーザーにしても、側近や親族を片付けてゆく描写は、ある意味で狂気の描かれ方をしている。 映画人生を大きく踏み誤る 地獄の黙示録 に関しちゃ説明不要! 

 題材が盗聴で食っている主人公が、盗聴の腕がある故に犯罪に巻き込まれてゆく・・・って、盗聴自体が犯罪だろ。 描き方によっちゃ、火曜サスペンス劇場になっちまう、そこら辺は、コッポラ生半可なもんは作りません。 主演がジーン・ハックマン。 ハックマンまだ出だしのはずなのに老けてんなぁって、思ったら超遅咲きの人だったのね。 フレンチコネクションのとき、40代だったのか、老けていたわけじゃなく、年相応の姿だったのね。 

 ハックマン、巨漢だから、基本強い役柄しかないんだけれど、この作品じゃ神経質な閉じこりを演じておる。 スケアクロウのガサツと思える役柄も、大きな温かみを感じさせ演じていた。 巨漢に似合わず、どんな役も演じられるという訳だ。 でも、大柄であるが故にそーいった役が多いと。 巨漢のジョン・リスゴーがあとを継いでいるな。 

 とにかく、観ているこっちも精神的に参ってくる描写だ。 どこまでが、盗聴で聴いている音か、彼の幻聴なのか判らなくなってくる。 盗聴とか、国と関わる仕事をする連中は、起きていること、起こることに無頓着でないと出来ないんじゃないのかな。 もし、それに対して、真剣に受け止めていたら、関わる仕事を止めるだろう。 

 仕事をクライアントに報告に行くシーン、主人公にハリーに 「プロらしく、なーんも気に掛けずに去るんだぞ、あとは、我関せずだ」 と、助言を与えたのに関わっちまうんだな。 

 そして、音楽が良い。 耳に残るリフレインと、サックスフォンが良い。 切れ切れの頃のコッポラでした。