相変わらず、塗装作業は継続しておる。 泊まり仕事であるので、帰ってきて寝るのだが、ドンチンカン煩いか、シンナー臭がプ〜ンとするか、どっちかである。 窓は開けられないし、布団も干せないときてる。 「一月の辛抱だから」 と彼女に言われるが、俺がお願いして 「綺麗にしてちょ」 と言ったわけではなく、管理会社のほうから外観ペンキ塗ちゃうからねと、一方的に連絡が来たに過ぎない。 俺としちゃ迷惑。 別段、汚くても、壊れなきゃ問題なし!

 日曜、祝も雨が降ったという理由で、繰り下げ作業をしておる。 以前の俺だったら、管理会社に文句を言って作業を止めさせるところだ。 事前作業内容には、日祝作業はなしと謳っているのであれば、やらないということだ。 中小企業は、日程を早めに切り上げ、儲けを上げたいだけだろうからな。 

 今年の猛烈な暑さと、猛烈な台風の二本柱の攻撃は強烈だった。 東京は、上手く難を逃れた。 関西、北海道はやられたよな、北海道に関しちゃ地震まで来やがったからな。 だが、台風の本番はこれからだから、気を抜いちゃいかんよな。 人が気を抜いておるタイミング、場所に発生する。 人の感情を勘ぐりながら起こしているような気がしてならん。 

 俺の山の季節も終わりつつある。 普通は、これから山の季節に入るであろうけれど、俺の場合は、これからマラソンの季節に移ってゆく。 去年は、腱鞘炎と肘の神経を傷め、レースは出れんかった。 走れなかった期間も長かった。 高がマラソンの腕振りでも、翌日には、激痛がはしっていたからな、最終的には、走ることを止めざるを得なかった。 ちゃんと走るようになったのは、5月を過ぎたあたりからだ。 しかし、長患いだった。 年の所為もあるんだろう、身体をそれなりに気を遣ってやらんと長く使い続けることは出来ない。 俺一人だったら、走る抜けるように人生を生きればよいと思う。 誰を背負っているわけではないからな。 誰も背負わないというのは、気楽で強暴だと思う。 

 何を言っているんだ? と思うかもしれないけれど、俺は、元来凶暴なんだと思う。 後先を考えないところもあるし、突き進むと戻らないことにしていた、今はちょっと違う。 変化球は投げない、基本ストレート勝負をすることにしていた。 俺自身の大きな変化は、間違いなく彼女の存在だと思う。 まず、物事を深く考えなくなっている。 これは、良いことなのか、悪いことなのかは難しいところだな。 以前のように野別やたらに考えることがなくなっている。 喋りかけてくれて、それを面白おかしく聞き、こっちも話す。 そんな生活だ。 彼女に言ったが、俺は乗り心地は悪いけれど、振り落とすことはない。 攻撃性も持ち合わせているから、それなりに防護能力も搭載しておる。 

 腕が治り、本格的に走り始めているが、なかなか乗らない。 1年半以上レースを念頭に真面目に走っていなかったからな。 只の体力維持のための走りでしかなかった。 それをレースを念頭に入れ、走るのはちょいとばかり違ってくる。 「はい、はじめっからやり直し」 って感じだな。 何かと戦っておって、自分自身に証がないと、不安で生きてゆけないのかもしれないな。 

ドンチンカンドンチカン

 足の方は、1週間ほど、歩くのに難儀し、小指の皮から爪まで一気に脱皮し、ぴちぴちなった。 だが、爪が再び取れてしまったため、化膿止めは塗っておる。 しかし、この2月ほどで2回爪が取れてしまった。 それと立て続けにやってくる台風に休日を家で過ごすことになり、山にも行けない日々を送っておる。 まぁ、山本番は、秋口なんであろうが、その頃には、マラソンにスイッチしている。 

 ここに移り住んで、9ヶ月目に入ろうとしておる。 定番のランニングコースも出来上がり、通勤の定位置も決まっておる。 住んでそれほど経っておらんのに改修工事になってしまった。 家賃が安いからな、そこそこ築年数が経過しておるのだ。 20数年だったかな。 外壁の色が白なもんだから、遠目には綺麗に感じるが近くから見ると、剥げているし、クラックも入っておる。 階段の滑り止めも取れちゃっているしな、管理会社に連絡しなきゃなーっと、思っていた。 

 ここの管理会社、しっかりしておって、配管洗浄とか、受水槽清掃とかもやってくれている。 そして、大規模修繕工事と来たもんだ。 外壁やるとなると、足枠を組み立てなければならん。 そんな訳で、朝っぱらか、ドンチンカンドンチカンやっておる訳ですよ。 これが出来上がって、防音ネットなんぞ張られると、布団も干せない。 塗装が始まったら、洗濯もんも干せない。 これから、夜は涼しくなってくるであろうが、足枠が出来ておるから、珍入者も居るからもしれないから、窓を開けておることも出来ん。 

 1月ほどであるが、職人さんが忙しなく働いておるからカーテンも開けられず、ちょっと窮屈な生活だ。 

バイキンマン

 マラソンをやっているときから、そーなんだけれど、爪がよく撃沈する。 爪が死ぬってヤツだ。 変色しちゃって、マニュキアを塗ったみたいになる。 あんま気にせず、そのまんまにしておることが多い。 登山でも同様に靴に爪が当たって撃沈しておった。 それも気にせずに放置しておったんだけれど、やたらその撃沈した爪が剥がれる。 1月で3枚ほど剥がれたんだが、いつものよーに放置しておった。

 そしたら、先行で剥がれた左足の小指が痛くなってきた。 爪が食い込んでいて、痛いんだろうと思っていたら、そーじゃなく、みるみる腫れてきた。 ふと気づけば、たこの頭のように真っ赤でパンパンに腫れておる。 こりゃ、ばい菌入ったな。 

 とりあえず、うちにあった抗生物質を塗って様子を見るも、一向に治る気配なく、片足を引きずるようになってしまい、こりゃ病院だと思い、皮膚科に向かった。 爪に無頓着な割には、ばい菌が入って腫れたことはなかったんだな。 

 近くにある皮膚科に向かった。 通ったことはなかったけれど、いつも患者さんが目白押しで、混んでいる。 混んでいるってことは、腕が良いと思われ、休日明けの月曜日に病院へ向かった。 診察開始時間の9時には、座る場所がなく既に大混雑。 どうも、アトピーに関して良い病院のようで、ガキンチョが多い。 とにかく、やかましい。 俺んちの方って、ガキンチョが多いんだ。 今時、珍しいなぁっと思ったけれど、家賃が比較的安く、物価も安いから、こっち方面に引っ越してくるんではないか? と睨んでおる。 子供育てるには、金が掛かるかんね、それを考えると、家賃、物価の安いところに移るんだろう。 子供が多いってことは、同様にじいちゃん、ばあちゃんも多い。 

 まぁ、1時間半くらいかなぁっと思い、確保できた座席で、本を読んでおった。 まぁ騒がしい、泣くことも居るし、かあちゃんに大きな声で話しかける子、遊んじゃっている子。 凄い凄い。 
 医者に呼ばれ、診察されると、思ったとおり、「ばい菌が入って、化膿してますね」 とのこと。「処置しますから、少々お待ちください」 と再び、待合室へ。 病院に行くと判るが、世間じゃどっか患っておる人が沢山居るということだ。 

 処置室に呼ばれ、患部を一目見て 「あぁ膿が溜まっていますね、出しますから」 ぶっとい針を持ってこられ、患部を刺され、膿を出された。 尖がったものを痛い患部に刺されるのは、嫌だが思ったほど痛くはなかった。 パンパンに腫れているから、ピューっと出て来た。 あまりにも勢いよく出て、処置ベットを通り越して飛んでった。 看護師さんもビックリしてた。 腫れ上がって、2日ほどで熟しきったな。 

 処置は終わったが、すぐに腫れが治まる訳ではなく、膿を出すために押されたから、ちょいと痛い。 テーピングで巻かれた為、靴が履けそうにない。 身体は労わってあげなきゃいけないんだよなぁ、特におっさんなだからさ。 医者に 「爪剥がれたら、なんかしたほうがいいですかねぇ?」 と聞いたら 「化膿止めくらいは塗ったほうがいいですね」 と意外そうな顔で返答された。 普通は、そーなんだな、そーします。  

放置プレイになっちゃってんじゃん

 ふと、気づけば長いことアップしとらんかった。 日々平穏というわけではなく、山に行ったり、デジタルリマスターした昔聴いとったCDを買い直して、やっぱええなぁと思ったり、考えておることはあり、山に関しちゃ思うことを途中まで打ってあるのだが、日々の出来事のほうが当然先行する。 なもんだから、そっちにかまけてしまうんだなぁ。 

 例えば、タイムリーではあるけれど、ちょっと前にオウム真理教の林郁夫裁判に関する本を読んでおったり、カルトのリック・ルービンに鞍替えする前のElectricの元ネタPeaceとの合併アルバムを買って聴いとったりしている。 プロデューサーの違いで、あそこまで音が違うんだなぁっということがよく判るアルバムだ。 聴くと判るが、決してPeaceが出来の悪いアルバムという訳ではないんだ、時代に合っていないアルバムであり、カルトに合っていなかったんだ。 それに気づいたカルトも只もんじゃないよな。 リック・ルービンは、音からイメージする姿とは違い、輪郭は麻原商工。 

 しかし、地震が起きたり、大規模な自然災害が起きたり、マジに東京オリンピック大丈夫かよ? と、思っちまう。 だから、オリンピックが必要なんだというアホな政治家の言葉に踊らされたくはない。 根本的な部分で、人を奮い立たせるような言葉や、行動が必要だよな。 仮想や、理論では心と身体を結ぶことは出来んと思っている。 何が正しいか、何が正しくないか何てことは俺には、どーでもいい。 問題は、俺に合っているかどうかだ。 人の性格っちゅーのは、人生半ばを過ぎた辺りに突然、自分自身の本当の姿に目覚めるらしいぞ。 神の教えでもなんでもなく、親の教えや、社会の通念ではなく、自分自身に戻ってゆくらしい。 ちょろっと思ったことを打ってみた(笑) 

笑うじゃなくて、嗤う

 前から気になっておった作家がおる。 京極夏彦。 ブーム最前線のとき、夢に出そうな本ジャケだったから、何度か手には取った。 が、買わんかったし、読まんかった。 俺、基本ノンフィクションのみを読むと決めているから、そっち方面は敬遠しておったのね。 何故にノンフィクションか? 世間にゃこれだけ多くの本が出ておる。 これを全部読むことは出来ん、だから、ノンフィクションのみに絞ったのだ。 それでも、結構大変。 

 気になる作家がおっても、その人が書く、エッセイや評論文を読むことにしておるのだ。 それによって、作家の本質がわかるからな。 だが、今回、禁を破り、京極夏彦に手を出してみた。 この人、本が厚い、字が小さいの二大苦、そして語尾がちょいとばかり、癖がある。 大人が読む本なのにルビが沢山ふってあるって時点で判るだろ? そんな数ある京極作品から何を選んだのか? 巷説百物語魍魎の匣姑獲鳥の夏etc、シリーズ化されておるもんも多い。 選んだのは、前々から読みたいと思っていた 「嗤う伊右衛門」 

 勘のいい輩は、伊右衛門と付いた時点で、四谷怪談と思いつくわな。 そのとおりである。 だが、現代語訳四谷怪談というわけではなく、夏彦解釈四谷怪談といったら、いいのかな。 これ、映画の方を先に観ておる。 世界の蜷川が監督した映画で、俺としちゃ、よー出来ていると思ったんだけれど、批評を見るとな 「原作の切なさが出ていない!」 「これじゃー只、映像にしただけ!」 とか評判がよろしくない。 ふ〜ん、そんなに原作は凄いのかと、思うわな、まぁ大概、映画は原作を越えられないんだけれどな。 読みてぇ〜でも、ノンフィクションのみというルールがあ〜ると、自分で作ったルールに縛られてしまっていた。 俺が作ったルールなんだから、破りゃー良いじゃんと思うだろ? ルールっていうのは、簡単に破っちゃいけねぇーんだ。 破るとだな、際限なくなっちゃうんだよ。 止〜め〜たと、決めたもんをやったり、飲んだり、食ったりするのは、簡単なんだ。 でも、一度その手ことをやると、同じことを繰り返すことになるんだな、だから、一度決めたことは、遣り通すというのが間違いがない術だったりする。 

 だからといってだ、いこじになって、それに固着することも間違っている。 そこら辺の頃合は、性分によるんだろうな。 このところ、小難しい本ばっか読んでおったから、息抜きをしたいと考えておったのかもしれない。 俺の場合、本の息抜きは、椎名誠なんだ。 ブック負ふで、探してきちゃ読む。 引っ越してきたとこの目と鼻の先にブック負ふがあるから、気が向くと行っている。 行くからといって、毎回買うわけではない。 しこたま買っても、再び、置く場所に困るというジレンマ。 でも、近いから増えたら、売ればいいやという、安直さ。 

 さて、この話、伊右衛門=悪い人という話しじゃない。 岩=化けて出るという話でもない。 逆に怪談か? と聞かれると、う〜んとなる。 出てくる面子は、一緒だけれど、役回りが違う、そして、話しがまるっきり違うのだ。 切ない話になっておる。 

 謎かけのようになっていて、最後まで読んでも本当のところは語られていない。 しかし、本を全部読めば、ちゃんと伏線が張っており、答えが出るようになっている。 なんとも切ない話なのだ。 映像では、到底表しきることが出来ん心理描写を文章に託しておる。 でも、映画は原作に忠実なんだよな。 読んでみて思ったのは、やっぱ原作には敵わないなってことだ。 

一月に一度

 引っ越してから、完全に一月に一度の更新になってしまった。 一人だと、気ままな日々を送っておればよいのだが、二人になると、一緒に過ごす時間が多くなり、自分だけの時間を割くのが難しくなる。 一緒に過ごす時間が嫌ということではない。 食事の支度をしてくれているのになーんも手伝わんということにはならん。 横で、洗いもんのしたり、テーブルやら、茶碗やらを準備したりする。 確かに一人で過ごす時間はあるけれど、それはそれで、分担されたお仕事をやらなければならないのである。  

 なんといっても食事の心配をしないのは、まことにありがたい。 遅く帰って、近場のコレステロールこてこての食事をするのは、身体によろしくない年齢になっておるからな。 俺の体を考えて、薄味な味付けになっておる、ちょいと寂しい。 ちなみに俺は、高血圧ではない。 

 些細な喧嘩はするが、お互い長く付き合っておったから、気性を把握しているし、年も食っているからなぁ、どーすりゃいいかは心得ているのだ。 
 笑ってしまうのが、6本木と家の往復で、街中といえるところに身を置かないんだなぁこれが。 6本木といっても、歓楽街の方ではなく、ブルジョアな方々が住んでおる方だから、街らしい雰囲気じゃなく、隙間あれば、どこでもある筈の松屋、マック、ケンタなんぞないし、セブンイレブンいい気分もない。 あるのは、あれだあれ、金持ち御用達の成城石井!! しかし、何故か、プアーズ御用達のまいばすけっとがひっそりと力強い味方として鎮座している。 

 俺んちの方は、町全体が閑静な住宅地と化しておるからな、混雑らしい混雑があるのは、朝くらいで、あとは毎日が日曜日みたいなもんさ。 でも、子供たちは、沢山おるんだな。 公園に小児科が賑わっておる。 
 
 結局、6本木とサイタマンの往復だから、静かに生活をしておるといえる。 電車の混雑だけは、どうにもならんけれどな、他は至って、穏かに時間が流れておる。 なんだろう、人の目を気にすることをしなくなってしまった。 一人で住んでおるときは、多少は異性を意識したんだが、今はなんも感じん。 お互いをパートナーとして認め合っているからかなぁ、他に意識を持つ必要がなくなった。 

 近場の川っぺりをせっせこランニングをしておるけれど、以前のように躍起になって走ってはいないな。 いずれ、レースには戻るけれど、走り方も変わった。 頑張ちゃいるけれど、一人で頑張っているわけじゃないから、それなりに気持ちが楽になったのかもしれない。 狭いながらも楽しい我が家ってことかな。

The doors

 俺は相変わらず、音楽はダウンロード派ではなく、CDを買うという無駄を手元に持つタイプである。 当然だが、仮想通貨なんぞ、まるっきり信じておらん! 形あってこそだという岩石のように固い意思を持っている。 

 そんな俺もナマゾンで、中古やら、輸入やらのCDを買い集めるという中途半端さはある。 ナマゾンの攻略に乗っかり、ちょっとでも安くなると手を出してしまう。 時々、妙に値段が下がるんだよ、ありゃ完全に作戦だよなぁ、俺は見事に乗っかって、買っちまうなけれど、困ったもんだ。 頻繁にナマゾンから荷物が来るもんだから、彼女のチェックも厳しくなっておる。 最近じゃ、パソコンのキーボードを叩く音がすると、「また、ポチっとしたか?」 と覗き込まれる。 俺も知恵をつけ、中古のCDを買い、ポスト投函にて回収という業を使っておる。 

 最近のホームランは、The cult の Choice of weapon という一番新しいアルバムの前のヤツになるのかな、それ! The cult と言った時点で、知ってるヤツしか知らん。 当然、ここを頻繁に訪れておる奴らは知っておるであろう。 Blue・oyster・cult ではない。 イアン・アストペリーとビリー・ダフィーの今となっちゃ少なくなった、本当に危なさを兼ね備えているバンド! これ又、AC/DC と一緒で、不変のスタイルである。 硬質なギターの音に単純なリフだ。 そして、妙に説得力のあるボーカル。 

 どこを切っても、cult である。 1曲目の Hony from Aknife から、ガツンとやられる。 新譜を聴くのは、10年以上ぶりだから、ボーカルも時間を感じさせるが、相変わらず、説得力十分である。 インナーの白黒写真を見ると、ブードゥー教の教祖のような感じだ。 一番驚いたのは、レーベルが日本コロンビアになっておったことかな。 流れ流れて、コロムビアかぁ、偉いぞ日本コロムビア。 アニメの楽曲しか出せねぇかと思っていたが、なかなかの男気。 

 イアンの声を聴くと、思い出すのが、ジム・モリソンだ。 cult が活動を停止しておったとき、Doors on the 21St century の活動をしておった。 Youtube なんぞで、画像がアップしていたから気にはなっていたんだ。 映像は発売されているけれど、音源は発売されておらんようだ。 あの妙な説得力は、ジム・モリソン継承のものなのだ。 そーなると、The Doors が聴きたくなるんですよ。 60年代の音源は、レコードの方が合っている気はするんだけれど、レコファンにレコードを売っぱらったときに The Doors ともおさらばしてしまった。 CDは持っているんだけれど、音がよろしくない。 買うか? こーなると、リマスター盤が欲しくなる。 

 ポチっとして買ってしまいました。 何周年記念盤とマニアック過ぎるもんは買わずに普通の ドアーズ ハートに火をつけて を買いました。 俺が聴いたアルバムの中で、針を落として、猛烈な衝撃を受けたアルバムは、そー沢山はない。 Vanhalen のファーストと、Kiss のアルバムも衝撃だったな。 あと、ELO の Time も衝撃だった。 

 1曲目の Break on through は未だに聴き倒す。 なんだろうエレピの単純イントロなんだけれど、強烈な力強さを感じるんだ。 そして、ジムのボーカルが被ってくるじゃない、そこで又、衝撃を受けるんだ。 これがファーストアルバムだっていうんだから、笑っちまう。 もう、既に The doors は出来上がっているんだもの。 レイ・マンザレクの攻撃的なオルガン! オルガンなんて、幼稚園でしか使わないと思っていた、それがあそこまでアドレナリンを出させちゃうんだからなぁ。 ベースが居ないという特殊な編成だったから、当然、キーボードで、低音をカバーし、ギターも低音をカバーしている。 ドラムはジャズっぽいが、このバンドには合っている。 

 リマスティングを施すおり、Break on through は原曲に戻した。 She gets で終了しているところが、High! という部分が入っている。 High! という言葉が、ラリっているという解釈をされるという理由で、切られた。 それが復活している。 そして、大作 The end の後半ボーカル部が鮮明になっておる。 解説にも書いてあったが 「地獄の黙示録の The end に近い」 

 俺の中では、地獄の黙示録の The end と、The doors の The end は別もんだと考えている。 両方、悪くないし、両方意味がある。 

 通勤時に The cult The doors という攻撃的な流れで、ウォークマンで聴いているぜ!!