時代屋の女房

 サイタマンになって、2ヶ月を越えた。 思っていた以上にいまの生活にすんなりとは入れたのには、笑った。 お互い長く一人で居ったから、やれ食べ方がどうの洗面台の使い方がどうのとギクシャクするかなと思ったが、そうでもない。 

 新天地に慣れたとしても、住み慣れたOH井は思い出す。 思い出す原因は、ちょっとした町の不便さだったり、通勤の大混雑だったりする。 あぁOH井だったら、直ぐ買えたのに、OH井だったらこんなに混んじゃいなかった!! と浮かんでしまう。 楽なほうに自分を流すからだろう。 

 CSの夏目雅子特集で、「時代屋の女房」 を観た。 勿論、OH井が出てくるのと、夏目雅子が出ているからだ。 観た覚えがあるが、とにかく面白くなかったことだけを覚えている。 覚えていないほど、どうでもよい内容だったのだろう。 でも、OH井が出てくるということで観たくなった。 

 オープニング、今はない三つ又通りの歩道橋に面した時代屋が出てくる。 昭和の臭いがする風景だ。 小学生の時分、チャリンコで、あそこら辺を散策したもんだ。 小さい本屋があって、品揃えは少ないけれど、趣味に偏った本が置いてあった。 あの僅かなスペースの通りも変わってしまった。 昔っからあるのは、ケーキ屋くらいか? 通りに入り口にゃデカイホテルが建っちまった。 阪急ホテルや、周辺にも小さいホテルがあり、外国人が闊歩している。 確かに渋谷、新宿、銀座に出るには良いロケーションだ。 俺らが住んで居った頃は、そんなこと誰も考えておらんかったから、汚い草競馬が近くあり、小銭で飲めるノーマークな駅だった。 

 りんかい線が通ってから、街は一気に変身したな。 他のとこから移ってくる連中に取っちゃ、その変身した街の方が住み易いんだろうなぁ、食い物屋もこまちゃくれて綺麗になっちゃった。 ごちゃごちゃした草臥れたおっさんばっかが集まる店の方が何となく良い。 ガキ共も、つっぱった感じで、ひねているほうが良かったりする。 OH井は、そんなところだった。 

 ロケーション範囲が狭いからか、OH井感が出ていない。 生き生きと町を撮ってくれれば良いものをこじんまりとして、この町がどーいう町かというのが感じられないのが残念だ。 

 今となっちゃ伝説になった女優、夏目雅子もらしさが出ておらん、銀幕に映える美しさは感じ取ることが出来る。 でも、俺らの世代は三蔵法師の方が馴染み深いか。 広いゲーノー界、キャラ被りが居るんだけれど、夏目雅子に関しちゃ亡くなって、数十年経っているのにその隙間を埋める女優が出てこない。 それだけ稀有な女優さんだったのかなぁ。 天真爛漫さと、美しさを兼ね備えた女優さん。 

 OH井でロケーションをしていながら、OH井駅を出さんかったのは、納得がゆかんよね。 ノスタルジーな駅舎が映像で残っていれば良いものを監督センスなさすぎ。 懐かしの品川公会堂から、駅前に出る狭い歪みまくっている石で出来た階段が、未だに好きなんだ。 階段の脇に寂れたパチンコ屋があり、時々連れて行ってもらった。 あまり玉で取るお菓子が、嬉しかった。 あの周辺だけ、多少ではあるけれど、昔の風景が残っている。 古い町並みは、ほっといても朽ち果ててゆくけれど、壊されてゆくのは、忍びない。 時々、OH井に戻るたんび、何かが無くなって寂しさを感じるんだろうなぁ。 

 映画は、やっぱ面白くもなく何にも残らない映画でしたよ。

新年の挨拶っちゅーか、近況

 サイタマンになってから、2週間ほどが経過した。 住み慣れてしまうと、そこは天国! という訳でもないが、住み心地は良い。 近くに地域密着の恐ろしく安いスーパーがあり、西ユーも比較にならんほどに安い。 そして、周辺に幾つも点在するディスカウントショップ!! 買いもんには不自由せん。 東京じゃ聞いたことがないスーパーも多い。 隣の県なのに馴染みがなかっただけに新たな発見ばっかだ。

 隣の県といったら、K川である。 それになんといっても、寒い。 こっちは、東京よりも2℃ほど低いんじゃないのか? 今年は特別寒いらしくし、地元のじいちゃんも 「50年ここに住んでいるが12月でこんだけ寒いのは、はじめだな」 と言っておった。 新しき我が家は、日当たり良好で、晴れておる日は、暖房不要である。 ありがたきや太陽だ。 

 その代わり、朝のラッシュが半端ない。 K浜東北線も負けじと混んじゃいるが、人が降りたり、乗ったりを繰り返すが、こっちは思ったほど降りずに東京へGOなのだ。 7時の電車は普通に混んでおる。 お父さんは、偉いよねぇそんな電車に文句も言わずに乗って、家族のために働いているんだからさ。 

 片付けなきゃならないのになかなかやらない。 ある程度、普通に生活が出来れば、それでよしと言う感じかな。 そんなんじゃ駄目なんだろうけれど、ついついやらない。 引越し準備の一ヶ月間が大変だっただけに無用な努力はしたくないのである。 困ったもんだ。 さて、俺は来月からどうなるのだろうか? 行って見なければ判らない。 六本木なんて、私用で行くことなんて、ありゃしない。 おまけに埼玉くんだりから、そっちに向かうんだからなぁ、気持ちがちょいとばかり萎えるな。

 それでも、生活の拠点は、安定しているのだから、文句を言わずに働かにゃーならん訳だ。 だからといって、会社のために働こうなんてぇサラリーマンの鏡のような気持ちは一切ない。 自由気ままに風に揺られて、右に左に傾きつつ、気が向いたら風に逆らうのだ。 

 若い頃は、いつでもどこでも風に逆らっていたけれど、歳を食うと、そこまで体力がない。 そんな俺は、平均点を取る仕事しかしない。 そこそこの点を取って、それなりに流してゆく、俺の好みの仕事があると、精一杯頑張っちゃう! そーいう気性だ。 まずは、リハビリを始めた右手を完治して、山へ谷へと走りに行けばよろし。 

12月4日にお引越し!

 引越しの準備も佳境に入っておる。 前回、5年ほど前に引越しをやっておるが、あの時は捨てれど捨てれどゴミは減らず、積めれど積めれど荷物は減らずという状態であった。 余裕かまして荷造りをしておるが、さすがにカウントに入ってくると、慌しい。 

 適当さが出てくる。 デカイダンボールに入れちゃえ入れちゃえと詰め込み始めておる。 

 これで、終わりじゃないところが怖いねぇ、向こうに引っ越してから、再び荷物を開いて片付けなきゃいけないんだもの、ほんと、引っ越しって大変。 

 生まれて間もなく、今のエリアに住み始め、結局半世紀居ったことになる。 おふくろは元々飛行機がブーーンって飛んでいるエリアに住んでおったから、親の代からずーーっとってことになる。 その土地を離れるのだ。 今は、引越しのことで目一杯だから、気にかけておらんけれど、落ち着くと懐かしく思うんだろうなぁ。 向こうの家族にも挨拶にゆき、なーんも持っておらん俺を受け入れてくれて、ありがたく思っている。 彼女のおふくろさんが、しきりに俺のおふくろのことを褒めていた。 「よく曲がりもせずにそこまで育ったね」 と、良いおっさんを捕まえて言われた。 おふくろや、弟は居らんけれど、間違いなくそこに存在しておるわけだ。 

 住んでいる場所が変わったからといって、俺自身が変わるわけではない。 地球の裏側に住もうが、隣街に住もうが、俺は俺なのだ。 そして、俺の存在の後ろには、おふくろや弟が居るということだな。

 HPの方が契約が切れるから、もしかしたら、アクセスできませんが出てくるやもしれん、このブログは変わらず、存在するから、HPが見れなくなったら、こっちを確認してくれ。 じゃー、バイバイ。

あーー忙し忙し!!

 腕は、相変わらず痛い、痛いのだが、引越しが決まった。 埼玉に引っ越すことになった。 そんな訳で、時間があると、捨てるもんを捨てて、やらなければいけない準備に奔走しておる。 腕が痛くないときjにぼんやりと考えておった。 来年の2月が今住んでおるところの更新なんだ。 それを逃すと、又、ダラダラとしてしまうから、未だ〜掛かれぇー!! って感じかな。

 12月初旬に引っ越す予定です。 そんな訳で、忙しいっす。 

経過

 右手の調子は、相変わらず、よろしくない。 気を遣っちゃいるけれど、右手じゃないと出来ないことが多々ある。 飯を食うときに箸を使うが、左手じゃ外人がたどたどしく飯を食うような感じになってしまう。 歯を磨くときも右手じゃないと、磨けん箇所がある。 どっちゃにしても肘を曲げないと出来ない。 

 原因としちゃ、肘をぶつけて傷をつけたか、マラソンの肘の振りの酷使、あと肩甲骨の使い方が上手くないために腱が引っ張られ傷が付いた。 こんなところだろうと思う。 俺は、肩甲骨の使い方が悪いの原因ではないかと踏んでおる。 肘に負担をかけん程度にストレッチを行い、稼動域を広げようと思っている。

 悪いことに関しても、どれ位やったらまずいのかが中途半端に判らない。 判るのは、やり過ぎた翌日は、猛烈に痛いということ。 しかし世の中は、当然だが、右利き用に出来ておる。 ドアのノブにしても、ズボンのチャックにしても、キーボードにしても、ギターにしても、財布にしてもと、上げていったら限がない。 いやぁ、なんとも不便である。 

 あと、パソコンのキーボードの打ち方にしてもよろしくない。 如何せん、我流のブラインドタッチだから、腕を上げすぎるんだなぁ、この癖は、鍵盤を弾いておったときからのもんだ。 指が短いからさ、上げずに弾くことが難しいんだ。 ベースに関しても、普通の人よりも指を立ち上げてフレットを押さえていた。 ギターリストが原因不明の手の痛みに悩まされるのも、独特の弾き方や、指の長さとかに起因しているのだろう。 

 痛いだけで、悪化しないのなら、我慢してやりきっちまうんだけれどな、治らない、悪化するというのは、頂けない。 養生して過ごします。 

養生中

 腱鞘炎かと思っていたが、どーにも治らないから、おかしいと思い、病院に行って診察を受けてきた。 結果、肘部管症候群であることが判明。 なんと読むかというのと、チュウブカンショウコウグン。 肘のところに神経系統の末梢神経があり、そこが傷つき、小指、薬指に影響を与え、痺れ、痛みが出る。 投薬で、傷ついた神経系統の修復を行うのだが、神経は、日に1ミリずつしか成長しない。 その修復日数は、傷ついた長さと=するのだ。 30センチ傷ついておったら300日掛かる計算になる。 

 又、投薬で修復せんかった場合には、手術になる。 この病気のやっちゃ駄目なことに肘を90度に曲げるという行為が一番よろしくない。 こいつをパソで打っておる。 パソでキーボードを打つと、肘は90度になる訳だ。 つまり、身体によろしくない。 

 病名が判ってから、ランニング、山厳禁になってしまった。 当然、パソも好ましくないということになっている。 寄り一層、更新が遅くなることになるので、よろしく。 

七回忌

 俺事であるけれど、おふくろの七回忌だ。 俺自身は、まだ、6年しか経っていないのかと感じている。 おふくろの関しちゃ、当然、俺よりも年上だし、死んだことは納得している。 だが、俺自身の不甲斐なさがあり、ちゃんと送ってやれなかったと今でも思っている。 それは、きっとこれからも思ってゆくんだろう。 これに関しちゃ、俺を慰める必要も、気にかける必要もない、俺自身が思い、解決すべきことである。 

 そして、おふくろを送るときに友人たちに力を借りたことを忘れることは出来ん。 あの七転八倒の8ヶ月、人生の中でも笑ってしまうような真摯な対応だった。 おふくろも 「私も、あんたと同じことは出来ないと」 と言っていたが、俺もおふくろと同じことは出来ません。 俺も仕事柄、日曜日に休むことが出来ん、世間では往々にして日曜日が休みだ。 そーじゃない人たちも沢山おるが、人を集めるなら、日曜日が無難である。 

 今年の正月、友人各位を召集することが出来んかったから、おふくろの法事に託けて集めようと思った。 突然、思い立ったように暑い盛りに招集をかけるよりは、おふくろの法事のようなものを実施しますと集めるのが良いかなぁっと思った。 

 半世紀も生きておると、みんな仕事に忙しい。 一月前に日付を打診すれば、予定を立てられるヤツは、立てられるし、立てられんヤツは立てられない、当たり前か。 ちょっと余裕を持って設定してみた。 人数が少なかったとしても集める気であった。 集まれるときに集まらなかったら、会えなくなるかもしれないからな。 

 28日は、墓参りをして集合場所に合流と思っていたが、律儀にHとロシア人(中年に入り、丸みを帯び、しかし身体つきは相変わらずゴツく、小型のヒョードルのようだから)は墓参りに付き合ってくれた。 ここ数年は、彼女と二人で、ひっそりと法事をみたいなもんをやっていた。 彼女は27日に行けないので、14日に行って来た。 
 おふくろへの供え物は決まっている。 梨だ。 実家の近くに梨園があり、ガキの頃から食っていた、当然、おふくろも好きだった。 夏の仏壇のお供えもんは、梨と決まっているしな。 前日にちょっと高めの梨を一つ買い、ビールを買った。 酒を飲むわけじゃないが、ビールをグラスに半分ほど飲むことを好んでいた。 

 水道橋博士に5分ほど前に着いた。 ロシア人がいつも遅れるので、まぁこんなもんだろうと思い、改札を出て本を読む場所を探しておったら 「merohi」 と呼ばれ、振り返ると、Hとロシア人。 事前に普段着でよろしと、連絡しておったから、超普段着の二人がおった。 うちのおふくろは、格好とか、仕来りとか気にせん人だった。 

 我が家の墓は、流行というか機械式のやつだ。 カードを入れると、認識され、お墓共々機械式駐車場のように運ばれてくるという仕組み。 墓を磨くことはないし、管理の必要もない、線香を持ってゆく必要もないのだが、10時から18時だったかな、営業時間が決まっておるのだ。 テレビや映画みたく突然墓参りがしたくなって明け方にバイクをぶっ飛ばして行ったとしても開いておらんという訳だ。 又、花も飾れないし、お供えもんも置けない。 置くことは出来るが持って帰らなければならんのだ。 味気ない。 

 川崎に代々の墓はあるのだが、ばあさんが頼み込んできても頑なに入れんかった。 おふくろが死んだとき、川崎にある墓に入れることを考えたが、そこまで頑なに入れることを拒んだところに入れたりすると、夜な夜なおふくろが化けて出ることは十中八九間違いない! 俺としちゃ、先に行っておるじいさん、ばあさんと願わくば、それなりに良好な関係を営んでおることを願わずにはおれん。 

 おっさん三人で、おふくろの墓に手を合わせ、地元に移動し、飲むことにする。 しかし、数年会わんと微妙な変化があることに驚く、まぁ老けているんだ。 当然、俺自身も皆と同じように老けてきているのだ。 老けなきゃおかしい。 他の半世紀生きてきた連中に比べれば、若いと思うが、髪がなくなったり、薄くなったり、白いもんが増えたり、周辺事情が変化したりと当たり前のことだが、時間の経過を感じさせずにはいられないのだ。 悪いこっちゃない。 

 さて、どこに入るか? 面倒がない居酒屋か、焼き鳥屋が良い。 普段、酒もタバコもやらんから、そーいうところに行くのは、こいつらとしかない。 まず、親しくないヤツのタバコの煙を浴びたくないし、吸い込みたくない、気性も飲み方も暴れ方も判っておるから、居られるのだろう。 最近は、職場の連中とも飲みに行く気はない。 知り合いになるのに手っ取り早いのは飲みにゆくことだということは、元酔っ払いであるから判っておるが、半世紀生きて、その手のことに時間を割くことが嫌になった。 

 以前読んだ本に書かれておったが、本当の性格というのは、50歳過ぎてから出てくるらしい。 その年齢になると、育ちやら教えといった呪縛から開放され、本人らしさが出てくるらしい。 性格が直らないというのではなく、知らんうちに解体、再編成されているのだと思う。 

 みんな、それぞれ仕事も違う。 人それぞれ人生が違うわけで、着きつく先も違ってくる。 人と人を繋げておるのは、仕事であったり、学校であったり、趣味の仲間であったりする。 そーいう繋がりから硬い絆なることもある。 結婚する場合、大概職場結婚が多いじゃない? 趣味の場合もあるわな。 だが、極々普通の友人関係を営むのは、難しい。 仕事で顔を合わせておれば、繋がりはあるが、離れたり、辞めたりすると、そこで切れてしまうもんだ。 仕事の場合は、上下関係というわずらわしいもんがあるから、築けないのだろう。  

 中坊時代から知っておるから、偽っておったとしても見破られてしまうわけだ。 面白いのは、各人微妙に役割が分担されておることかな。 俺は、俺の役割があり、HにはH、ロシア人にはロシア人、悪友KにはKの役割、今回来れなかったけれど、KにはK、IにはIの個性があり、居てもらわなければならないのだ。 しかし、絶対はない。 だから、集まれるときに集まれる連中だけで、集まればいい。 

 この年齢になると、ある程度のことは分かってくる。 当たり前か。 心配事があったとしても、人に相談することはしなくなる。 それは、相談してもしようがないことで、最終的には、自分自身で決めなければならないことを理解しているからだ。 もし、打ち明けることがあったとしたら、それは、相手の意見を聞きたいだけなのだ。 半世紀生きて、今更、どうしよう? なんてぇ出来事はない。 

 今回、飲み会に彼女を誘った。 付き合いが深くなって、俺自身のことをよりいっそう知りたい場合、肉親に聞くのが一番手っ取り早いのだが、おふくろも弟も居らんから、俺の友人に聞くのが早いと言った。 だが、今まで笑い話として、数々の酒に伴った俺の武勇伝や、ハチャメチャな話、聖なる酔っ払いの友人の話をしたら、会うのが怖くなったと言っていた。 俺のハチャメチャな話は、聞きたくないようなのだ。 途中から、俺もしなくなった。 

 彼女が居らんかったら、俺は多分、今頃日本には居らんかったであろう。 自分自身の思うがままに生きていたと思う。 それは、それで、緊張感溢れる日々であったろう。 そんな俺をストップさせる為におふくろが送り込んできたような気がせんでもない。 まぁ、そのうち紹介する機会もあるであろう。 

 こんな、俺をありのままに受け入れてくれる人は、そう居るもんじゃない。