久しぶりの更新(笑)

 いつもの土手をランニングしておって、下校時の中防に出くわすのだが誰とも出くわさんかった。マスクした健康のためウォーキングしておるじいちゃん、ばあちゃんぐらいだな。マラソンのレースも自粛になり、レースのために練習に励んでおるもんも居らんせいか、走っているヤツにも出くわさん。コロナで小中高が休止になっているのを感じる。本人たちは、面白おかしく学校が休みになったことを楽しんでおるのだろう。何も考えておらんかった俺の中防時代を振り返ると、そんな気がするが、今の子たちは、そこら辺のことを敏感に感じておるのだろうか?

 話は、急激に変わるが、映画のことをこれっぱかしも、打っておらんが観ておらんという訳ではない。むしろ、よー観ておる。俺も、かみさんも映画が好きだから、よー観とるのだ。二人して、観ちゃー、あーでもない、こーでもないと語り合っておって、それで終了してしまうから、打つこともないというわけである。

 どんな映画を観ておるか?っちゅーとだ、小難しい映画は敬遠される。そして、俺の大好きな類も敬遠される。例えば、1941、タクシードライバーロッキー・ホラー・ショーヤング・フランケンシュタインブルース・ブラザースとか、ちょいとばかりマニアックなもんは、観て意味が判らんといわれる。ここら辺は、しゃーないかな。一人の時にこっそり観ておる、まるでAV扱いじゃないか。

 そんな訳だから、安全パイを観ることになる。イーストウッドの「運び屋」を観た。

 イーストウッド監督作品であり、主演である。俺がイーストウッドをちゃんと評価したのは、「許されざる者」からである。あれを観るまでは、ハリー・キャラハンだったり、ダーティーファイターの強いおっさんでしかなかった。マッチョな娯楽作品の王様って感じかな。「許されざる者」を観て、マッチョな頭な筋肉なおっさんじゃないじゃん、人の微妙な感覚を表現出来るデリケートなマッチョじゃないか!と思ったのだ。それから、イーストウッドの監督作を順番に観ていった。演出は、とにかく無駄がない。無駄がないが、描き切れているのだ。そして、自分自身の年齢に応じて作品をチョイスしているのも凄い。自分自身がカメラに収まった姿を客観視しているのだろう。スタローンは、自分自身を画面に収めるように自分自身を繕っているのがある意味凄いけれどな。その感覚がズレ始めると笑えるんだろうな。

 今回の「運び屋」吹き替えで観たのだ。何故に吹き替え?確かに飯食いながら観るとき、吹き替えだと、飯にかまけておってもストーリーを置いてきぼりにしないで済む。そーじゃない!NAMAZONのコメントを見るとだな、「まるで、山田康夫!」の嵐なのだ。おいおい栗貫?そんな訳ないよな、栗貫にゃイーストウッドが出来るわけがない。何故か!マジのルパン三世を未だに演じることが出来ないから。
 誰だ誰だ?と思ってキャストを見てみると、多田野曜平?誰?

 ベテランの域に入っている声優さんなのに知らんかった。流行りのCGビシバシのアニメを観ないから知らんかったのか?役者から声優にスイッチした人のようで、新録の「夕陽のガンマン」を当てているようだ、それは未見だ。山田康夫が演じるイーストウッドの肝は、微妙なしゃがれた感なのだ。栗貫がマジのルパンを演じられない理由は、このしゃがれた感が出せないからなのだ。

 吹き替え映像の予告を観たとき、しびれたねぇ!!まるで、山田康夫じゃないですか!これで、安心してイーストウッドの吹き替えが観れるってもんだ。いつも、ひやひやしながら観ておったよ。

 さて、内容であるが、実話をベースにした犯罪物で、90歳のじいさまが麻薬組織に雇われ、運び屋になってゆく話し。気軽にドライブして、お金が入ってウハウハの時は、コミカルに描かれ、徐々にシリアスになってゆく。演じているのだろうが、颯爽としたイーストウッドの背中ではなく、寂しさと老いを感じる。
88歳にして、現役で映画を撮り、演じているというのは、凄いよな。やっぱ、ダーティー・ハリーなのかな。