もう一人の春樹

 流行というのは、ぶち切れているようで、繋がっておる。 その繋がった中でジェネレーションの垣根を越えて愛されるもんがあったり、何故にこの時期にこれ? っちゅーのもあったりする。 突然、ブルース・リーブームがやってきたり、松田優作が平成の世代に語れたり、マックイーンもそうだ。 デジタル技術の発達により、リマスターなんちゅー技もある。 映画だけに限らず、音楽も映像もそうだ。 

 リマスターが出たてのころは、音を明確に大きくすれば良いという風潮があったが、今は、アナログにいかに近づけるか? ということを目標にリマスターされている。 結局、そこに戻るのかよ! って感じだな。 ペイジが部屋にこもってしこしことZEPのアルバムを新たにリマスティングした理由は分からんでもないが、ヤツ自身がZEPマニアだから致し方ない。 
 映画も、一時、CG一辺倒だったけれど、CGと実写の同居っていうか、上手いこと作り上げている。 カーアクション映画も、CG一本やりで一時面白くなくなったが、又、車の横っちょにカメラを搭載して撮ることが主流になってきている。 良いこっちゃ。 

 そんな中、70年代というのは、なんとも味わい深い。 音楽にしても、映画にしても何とも言えん奥深いもんがある。 70年代は、俺たちは、小学生だった頃で、なーんも分からず、それを見て聴き、影響を受けていた。 当然、良いか悪いかなんて分からんかった。 ある意味、思い出の断片だな。 年を食って、改めて見る機会があると、全然見方が違ったりする。 なーんも知らんガキから、時間を掛けおっさんに変貌していったわけだからな、理解もするわな。 

 扉絵になっている 「サタデー・ナイト・フィーバー」 にしても、只の流行した映画としてしか認識しておらん。 何気、プアボーイのサクセスストーリーだったりする。 それにしても、トラボルタは濃いなぁ! 歳を食って、濃さが薄まり、それなりに見れるようになった。 顔の骨格は、猿人なのに目元は、チンパンジーなんだよ。 そんなこたぁ大きなお世話か。 

 ダーティー・ハリー、燃えよドラゴンカサンドラクロス、サスペリアスターウォーズ、未知と遭遇、ジョーズ、タワー・リング・インフェルノ、ロッキー、あとなんだ? 挙げてゆくと限がないな。 日本映画だと、寅さん、トラック野郎、仁義なき戦い、そして、角川映画だな。 

 当時まだ、二本立て映画が主流だったときにピンで、勝負してきたのが、俺の大好きな 「犬神家の一族」 映画界にどこの馬の骨として、角川春樹が殴りこみをかけるのだ!! まるで、仁義な気戦いだな。 そんな、角川映画の歴史を追った本 角川映画 1976-1986 を読んだ。 

 角川映画が如何にして生まれ、衰退し、変貌して行ったかということを丹念に書き綴っている。 あの時代を潜り抜けた少年少女であれば、角川映画に特別な思いがないヤツは居らんだろう。 角川映画のスタートは、当時の角川映画に名前が出てくる 角川春樹事務所である。 勿論、足がかりは、角川書店だ。 

 春樹に関しちゃ、色々言われちゃいるが、この本を読むと、薬をやっておったかどうか半信半疑になる。 以前は、当然、「やっているんだろ!」 と思っていた。 角川書店は、今でこそ、誰でも知る出版社であるが、それまで出版社といえば、新潮、講談、小学館辺りの大手が闊歩している時代だ。 角川はと言えば、そこら辺で出しておらん作家、本を出す隙間産業であった。 それを一代で、あそこまで大きくしたのだから、経営の天才なのだろう、故に変わりもんであり、人の言うことなんぞ聞かんのだ。 この手の人たちにいえることなんだけれど、業が強いくせに純心なのだ。 

 それをオセロのひっくり返しのように一気に色を変えてしまった。 今でこそ当たり前だけど、当時はまだやられていなかったことを春樹が一途はじめというのが多々ある。 まず、文庫本にカバーを付けたこと。 それまでは、表紙カバーはなく、あっても透明なカバーだけであった。 それを本屋に入って楽しくなるような、カバーをつけたのは、角川が初めらしい。 そして、作家ごとに背表紙の色を変えるというこれ又、今となっては当たり前のことをやったのも角川だったらしい。 これも、本を売るための戦略であり、映画もその一環だったようだ。 小学生だった俺は、本屋に行って、横溝正史の表紙のおどろおどろしさにうきうきしたもんだ。 

 映画でも、同じように新しいことをやるんだな。 当時は、2本立て上映が当たり前だったのを1本上映に踏み切る。 ピン上映といったら、洋画しかなったんだな。 それに観る方も、2本観れたほうが一粒で二度美味しいという意識があった。 それを2本分の金を1本に出したほうが、大作が出来ると踏んだ。 あの 「犬神家の一族」 でさえ、配給元決めるのに苦労したらしい。 どこの馬の骨が作った映画だらからな。 常々思うが春樹は、金の集める天才だな。 

 しかし、その金の使い道もちょいと変わっていた。 映画を作ろうと思って集めたら、それを全部製作に充てるじゃない? 制作費よりも宣伝費に充てたんだな。 今は、その手の戦略は当たり前なんだけれど、当時は、数億円掛けるなんて、アホじゃないか! と思われていた。 しかし、小学生の俺さえも、金田一耕助の名前を知るほどに猛烈な宣伝をした。 この戦略は、ある意味で、角川の得意技となる。 

 そして、もうひとつは、着目点だ。 江戸川乱歩ではなく、横溝正史である。 当時、作家として忘れ去られていた横溝正史を引っ張ってきたことだ。 映画は、これ又、ミステリー! 春樹は、この時点で、確信を持って作品を作っていたようだ。 ヒットすると。 ルーカスのようにヒットしないと思って、リゾート地に逃げておった訳ではない。 それが事実だとしたら、やはり、天才だな。 

 角川が順調に路線に乗ると、角川映画より、アイドルを出そうとする。 それが薬師丸ひろ子だ。 オーディションのとき、誰も薬師丸を推さんかったらしい、春樹が 「こりゃ、いけまっせー」 と思って、薬師丸に白羽の矢を立てた。 凄いのがいきなり、映画デビューさせずにテレビドラマで、慣らさせてから 「野生の証明」 に出させる。 今だったら、大々的にオーディションして、出来ようが出来まいがそのまんま映画に出してしまうだろう。 そーいう時代だったのかなぁ。 当時、薬師丸に熱狂したもんは多いよな。 俺は、今も昔も薬師丸に魅力は、感じない。 あぁ角川三姉妹には、誰一人魅力を感じんかった。 

 原田知世に関しちゃ、もっと入れあげたようだ、結婚したい! とさえ公言しておった。 勿論、そこは、大人だから線引きはしっかりしていた。 

 角川映画は、ジャンルもバラエティーに富んでいたと思う。 ミステリーに始まり、アクション、時代劇、アイドルもの、アニメ。 これだけ多岐に渡る理由は、春樹の戦略もあったが、春樹自身が観たいと思う映画もあった。 他の大手が作らないであろう作品を作っていた。 誰もが観たいと思う映画は、娯楽映画になるんだよな。 作る側は、それをよしとはしないのだ。 特に昭和という時代は、駄目だったのだろうなぁ。 当時の映画界からは、すかんを食らっていたようだ。 

 それが証拠に俺らの世代で、好きな映画と聴かれれば、必ず、角川映画を一本挙げると思う。 俺は、「犬神家の一族」 「魔界転生」 「戦国自衛隊」 「野獣死すべし」 

 春樹は、角川映画を退き、自分の出版元を持ち、それなりに映画を作っている。 角川映画は、話題に上ることは少なくなったけれど、今のほうが大きい。 自己配給をするし、映画館を運営し、スタジオも持っているらしい。 日本映画界の着陸点を見付け、安定した地位を得たということだろう。 角川映画万歳!!