忘れた頃にHenro walker 5月16日

 既に2時間ほど、歩いただろうか? お遍路を一人で、歩いておって、やらにゃいかんことが休憩なのだ。 一人だからといって、すこたらさっさと歩くわけにはいかない。 休憩もせずにドカーンと歩ききってしまう人も居るけれど、普通は休憩をせんと翌日に響く。 それに春だっちゅーのに暑い。 

 「そろそろ休みませんか?」 と声をかける。 右足を引きずりながら歩いてゆく。 「大丈夫です」 「うーん、休憩しないとバテてしまいますよ、休みましょう」 「大丈夫ですから、休憩してください」 おっと! そー来たか。 基本、本人の意思に任せるが良いと思った。 俺は、あくまでも付き添いなのだ。 マラソンでも、膝が痛くなり、歩き始める、休むと歩くのがしんどくなるが、休憩は必要だ。

 川を見ながら歩いておる。 歩いておる人は、殆ど居らず、俺たち黙々と歩いておる。 メガネ女子と何を喋ったか、はっきりとは覚えていないのだ。 他愛無い会話をしておったことは間違いない。 そして、素性が分からない程度の範囲、大まかな居住地が分かる程度と、そんな感じだったように思う。 

 なんとも不思議である。 素性も知らずに一緒に歩いておるのだ。 俺にしてみりゃ、女性と歩いていること自体が摩訶不思議なことである。 軽い感じにとっつきやすい類だと、自分のことを思っていないし、風貌がとっつきやすい訳でもない、とりあえず、普通にしておって、繋ぎ止めるような話もしないし、行動をする性質じゃない。 今の光景が奇跡に近い!!

 メガネを掛けている女性は、本を読んでいると勝手に決め付けておる節が俺にはある。 「あぁ普段、真面目にOLをやっておって、有給使ってお遍路かな?」 と、思っておる。 だったとしても、大まかな部分しか話は聞けないから、「ハイ、正解」 という訳ではない。 俺の話を聞き、そこそこ反応し、歩き続けている。 俺は、横で、マジに心配になっておったけれど、「歩くの止めなさい」 とは言えないわけで、後ろから黙って歩いてゆくのである。 

 そして、時々俺は、リュックから地図を出し、道が合っておるかを確認して進んだ。 男は、地図が大好きだよな。 自分の目的を具体化してくれる術だからなのだろう。 今は、スマホで、パパッと出来ちまうじゃん、だから、男でも地図の見方が分からん輩が出来るのだ。 
 スマホがGPSの役割を果たすから、バイク乗りもハンドルにスマホを取り付けて、GPS見ながら走っておる始末。 「都内の道判る?」 って、聞いたら 「殆ど、判りません」 だって。

 世間から逸脱した時間を送っている。 この時間、仕事をし、時間を気にして生活をしておるのだ。 まぁ、確かに次の寺への時間を気にはするが、他愛無いもんである。 そんな中、俺たちは、歩いている。 何故、歩いているのか? その意味は、この瞬間に判らんもんなのだ。 生きておって、その瞬間に意味が判っていることは、案外、意味がないことなのかもしれない。 本当に意味があることって、後から判るんじゃないのかな。 

 それにしても、タフである。 痛みを堪えて、てくてく歩いておる。 俺も考えてみれば、マラソンのレースで、膝が痛くなっても棄権する気はさらさらない。 痛みを堪えて走れずに歩いている。 足を引きずりながら、「何で、こんなことをしてんだ?」 と自問する。 何かに集中しているときは、ある意味で、隔離された空間なのだ。 それだけしか考えることは出来んのだ。 

 彼女も、そんな感じなのだろうか?