人間の土地

 映画でも、本でも、印象に残らない、面白くないと、内容を忘れてしまう。 これが困る、せっかく時間をかけて、面白くないとしても、読みあげたのだから、せめて内容だけでも覚えておかんと、損をした気になってしまう。 だから、本、映画に関しては、面白くないと決めたら、止めることにしておる。 どーせ、忘れるのなら、時間の無駄だからな。  

 それとは、逆に再見、再読したくなるもんもある。 映画に関しては、多々語っておるので、言わん。 本も同様に再読するであろう本、若しくは、読後、速攻で、中身を再読する場合もある。 小難しい本に関しては、読み終わって、すぐに再読に掛かる。 大概、そこまでやると、内容は頭に入る、筈だ。 

 お遍路に行ったときに持っていった本がある。 疲れて、数ページしか読まんかった。 そこにゆくんだったら、これだなと、決めて持っていった。 サン・デグジュベリの 人間の土地。 
 一番はじめ、この本を手に取った理由は、何かの本か、批評で、出ておって、読まなきゃいかん本だと思わせるもんがあったのだろう。 サン・デグジュベリといったら、星の王子様 である。 そっちの方が有名であり、大概、そっちの方を読んでいる。 俺は、相変わらずの天邪鬼っぷりで、読んでおらん。 そして、もう1冊、夜間飛行 という作品もある。 こっちの方が有名である。 読んでみて思ったのは、松本零士の「戦場マンガシリーズ」は、サン・デグジュベリの作品に影響を受けていることを感じる。 飛行機好きの宮崎駿も、影響を受けているし、「紅の豚」は、サン・デグジュベリへのリスペクトじゃないかなぁっと、思ったりする。 なぜ、引退作品をサン・デグジュベリの「人間の土地」をチョイスしなかったのか、不思議だ。 せめて、「夜間飛行」 だよな。 

 さて、「人間の土地」 であるが、 デグジュベリが郵便飛行をやっていたときに経験したことが書かれている。 総合して言えることは、生きることへの賛歌だ。 その中で、サハラ砂漠に墜落した3日間の話は、過酷だ。 ガソリン、水は、墜落時にタンクに穴が開き、なくなる。 水がない状態で、200キロ歩き、一つのオレンジと、僅かなワインで渇きを癒し、蜃気楼を何度見て、希望を何度も打ち砕かれても諦めない。 いつ終わるか判らないことを諦めずに待ち続けることは、自分のためだけでは無理なんだと思う。 遠く、彼らの帰りを待っているであろう家族のことを思い描くことなのだ。 死は怖くない、自分のためではなく、待っている家族のために生きて帰る。 

 そして、砂漠で、奴隷を助け、開放してあげるのだが、その奴隷が市場で、子供の頬に触れ、突然、有り金全部で、子供のおもちゃを買い、子供たちに分け与え、本当の自由になり、去ってゆく話しは、素晴らしい。 本当の自由のあり方を考えさせられた。 

 そして、なぜ、人間の土地なのか? 人は、社会という土に揉まれ、耕され、人として成長をする。 疲れ果てた夫婦が苦境が待っている土地に帰らねばならず、列車に揺られていた。 その夫婦の狭い椅子の隙間に輝ける子供の姿をデグジュベリは見る。 

 精神の風が粘土の土を吹いてこそ、はじめて人間は造られる。 サン・デグジュベリ