重力ってヤツは

 走るという行為は、人が成長するにしたがい、自然に覚える動作だ。 乗りもんを使わん限り、移動手段として、一番手っ取り早い動作。 人は、4足歩行から、2足歩行に移行し、移動時にも両手が使えるようになった、これが、今の発展の足掛かりになっており、通勤時に俯き、新しい宗教の如きスマホのポジションに繋がるのである。 2足歩行の一番の問題は、重い上半身を如何にコンパクトに下半身に乗っけるか? ってことなんだと思う。 歩くにしても、走るにしても、同じだがコンパクトに乗っからないと、楽に長時間、動き続けることは出来んのだなぁ。 背筋を伸ばして、骨盤に上半身を乗っけるのが正しい立ち方なんだが、これがなかなか難しい。 頭も、正しい位置に乗っからんと、70%重さが掛かってしまうらしいのだ。 正しい位置に乗っかると、20%減の50%で済むのである。 スマホや、パソをやるときに画面に顔を近づけるために頭が前にゆくだろ? 結果、前傾の猫背になってしまうのだ。 せっかく、2足歩行を手に入れたのに現代人は、再び、肉体を退化させる訳だ。 

 マラソンをやっておって、何が大変かというと、正しい走りかたのポジショリングを身体に覚えこませるということだ。 どーにも、上手く覚える事が出来ず、試行錯誤しまくりである。 最終手段が、重力に逆らわずに体重移動することだった。 下半身をさ、地面に対して、垂直に保つと言ったらよいのかな、錘をつけた紐をたらすと、重力に対して、常に垂直だろ? あれを身体で、実践するのだ。 言葉で、書くと難しいが、下半身は、常に地面に対して、垂直であると、考えればよく、立っても、歩いても、走っても同じことになる。 普段、何の気なく生活をしておるが、常に重力されされておるっちゅーことだ。 

 人が、宇宙に出て、生活をしようと思うと、絶対に解決せにゃならん問題が、重力なのだ。 高が、数年宇宙ステーションにおるんだったら良いが、ジェットソンズじゃないが、宇宙で、家族を持ち、生活し続けようと思ったら、重力の問題を解決しなければならん! ガンダムスペースコロニーにしても、宇宙戦艦ヤマトイスカンダル星に旅立つにしても、これは、避けて通れん問題だ。 今の調子だと、宇宙で生まれたものは、地球の大地に足を踏み入れることは出来んことになっちまう。 宇宙で、生まれ育って、重力を知らんかったら、深海魚が手打ち網に掛かって、猟師のおっさん見て、おっちんじまうのと同じこと。 

 重力・・・ってことで、ゼロ・グラヴィティ

 予備知識がなーんもなく、予告編を見て、ぶっ飛んだ! 凄い映像! CG嫌いの俺が、粗を探すことが難しいほどだ。 とっても、リアルな宇宙空間。 ステーションから見る地球も、CGなんだろうけれど、そんなことは、感じずに 「地球だ! 地球なんだ」 と素直に感じた方がよい。 この光景を見て、大概の人は、2001年宇宙の旅 を思ったんじゃないのかな? 俺は、速攻で、頭に浮かんだ。 この映画、SFの分岐点になる作品なんじゃないのか? 俺の思う一つ前の分岐は、マトリックスなんだ。 そーなんだよ、あれから、もう何年も経っている、分岐点になるべき作品が出てくる頃なんだ。

 この作品の優れているところは、余計なところを削ぐだけ削ぎ、コンパクトに纏め上げていることにあると思う。 主人公の回想シーンもないし、宇宙飛行士になった件もない。 宇宙で起きていることがすべてなのだ。 宇宙での遭難。 いやぁ、想像したくない。 現状、まだ、限られた人しか、宇宙に行かんでしょ? だから、俺が気にすることではない。 

 この映画、色々な要素が詰め込まれておる。 衛星群の衝突により、ステーションからすっ飛ばされて、宇宙空間を回転しながら、漂ってゆく。 宇宙の特徴なんだが、上下関係ない! だから、グルングルン飛ばされても、どっちが頭で、どっちが足かが分からなくなってしまう。 だから、ステーションの中で、普通に浮いている人と、逆さまの人が居る訳だ。 俺は、あのグルングルン回るシーンで、2001年宇宙の旅だ! っと、思った。 キューブリックがこの作品を観たら、どう思うだろうか? まず、スリルであり、次にホラーだった。 このホラー的な要素は、観て感じて欲しい。 

 そして、人生の中の決断。 「この旅を楽しめよ! 生きると決めたのなら、大地を踏んで、歩き始めろ」 このセリフがすべてだな。 俺は、何事も、自分の足で立つってことが大事だと思っている。 この足とは、そのものズバリの足であり、精神の足であり、悲しみから立ち上がる足でもある。 そして、服についた汚れを叩いて、歩き始めればいい。