Henro walker 5月14日

 歩いて、場所から場所へ移動するというのは、不思議な感覚である。 一応は、文明人である。 電車を使い、車を使い、日々通勤しておる。 それが、なぜ〜か、荷物を背負って歩いているのである。 なーんの疑問も持たずに俺は、歩いておる。 走っておると、苦しいせいか 「な〜んで、こんなことしてんだろう?」 と、必ず、自問する。 走っているほうが、身体の負担が大きいからなのだろう。 この苦痛から逃れたく、自問する。 この歩くっちゅー行為をしておると、なんだろう、移動の手段として捉えているのかなぁ、だから、文句も言わずに歩いておるのかもしれない。 

 相変わらず、地図を持たずに案内図を頼りに歩いておる。 遮るもんがなんもないフラットな道だから、先行しておる人が見える。 「あんりゃ? おかしいなぁ、俺の方が先に出ているはずなのにトレイルの恰好をしたおじさんが居る・・・気がする。 「まさかなぁ」 っと、思い近づいてゆく。 歩くのは、俺の方が早い。 横に並び、顔を見ると、トレイルのおじさんだった。 「あれ、いつの間に抜かしました?」 狐につままれた気分。 
 あとで、判ったのだが、おじさん、へんろ道保存協会の地図じゃなく、普通のマップルとかの地図で、ひたすら国道を歩きながら動いておったのね。 へんろ道保存協会の地図も、持っているんだけれど、見づらいということで普通の地図で、歩くことにしたらしい。 そー考えると、国道を真っ直ぐに闊歩した方が短距離なのかもしれない。 

 再び、俺が先行し、9番法輪寺に到着。 線香を上げ、お祈りして、願札を入れ、トイレを済ませ、椅子に座っておると、チキチキマシーン猛レースのように順番にゲートインしてくる。 実質、それほど、差は付いておらんのだ。 俺の場合、朱印をもらわんから、その分、ハンデがあるようなもんだ。 

 「よいしょ」 っと、荷物を背負い。 次の寺へと進む。 右手に回り、生活路を歩く。 歩き始めて間もなく、おばあちゃんに 「ちょっと待ってなさい」 と言われ、立ち止まると、ゴソゴソとカバンの中から、飴を出し 「持ってゆきなさい」 飴を渡された。 歩いておると、こんな感じで、飴をもらう。 疲れてくる、腹が減ると、その飴を頬張り歩くのであ〜る。 

 矢印に従い、歩いておる、身構えもせずに歩いておるから、次に何が出てくるか何て気にしない。 「おぉ、ここか、ここか」 という程度で、寺に吸い込まれてゆく。 何気に海外でも、一緒で、適当に歩いて、名所に出るなんて日常茶飯事。 俺の旅は、偶然と気まぐれで出来ていると言っても過言ではない。 次の場所に確か、沢山の店があるとか書いてあったな。 ここらで、地図と、金剛杖を買おうと思っている。 翌日は、山越えが待っておる。 

 ここら辺は、平地だと安心しきっておった。 車がやっと、通れる程度の道幅の坂が、ずーーっと、上まで繋がっておる。 これって、もしかして、上まで登らないと寺に辿り着けないの? 荷物を背負いながら、えっちらおっちら登ってゆく。 両脇に店舗があり、「お遍路さん、荷物預かりましょか?」 と、声をかけられる。 お遍路さんをもてなす風習があり、それをお接待といい、それを断っちゃいけんらしいのね、俺の気性からして、坂があろうが、山があろうが、自分の荷物は、自分で持って登る風習がある。 当然、こんなもんで、根を上げるもんかと背負って登るのである。 

 気構えが出来ておらんから、ちょっと後悔する。 「やっぱ、預かってもらえばよかったなぁ・・・」  

 左にうねっと曲がって、登ってゆく。 車で向かう連中は、歩いておる人のことなんぞ、考えずに荒い運転で上がって行く。 どーも、俺は登りの体幹の使い方が下手なようだ。 上手く体重を乗せる事が出来ん。 自重を使って上手いこと登ってゆかんといかんのだが、角度もポイントもよろしくない。 坂を登りきり、これで終わりかな? っと、思ったら、 階段があり 「是より三三三段」 の石柱!! あぁ、そーいやぁ、そんなもんがあると、ガイドブックに書いてあったなぁ、ここのことだったのかぁ。 ふと、上を見上げると、やはり、さっき抜かした筈のトレイルおじさんが先行して、階段を上っている。 不思議だ。