遊星より愛をこめて

 ガキの頃、夕方に円谷作品や、東京ムービーの作品がよーく再放送されておった。 まぁよく見たよなぁ、あの不動の夕方の時間枠をニュース番組に取られてしまい、子供の時間が無くなってしまった、今の子供たちは、かわいそうに思う。 確かにさ、ゲームとか、ネットとか復仇しているけれどさ、みんなで、共有できる時間がない。 学校に行って、「昨日、ウルトラセブン見た?」 の会話から始まり 「その時間、まんがの国見てたよ」 という会話が出来んのが可哀そうに思う。 ネットで見れるからいいさ、というかもしれないけれど、新聞のテレビ番組を穴が開くほど見て、番組をチョイスする醍醐味を味わうことが出来んのだから。

 そんな、ウルトラセブンに欠番があると、聞いたのは、中坊くらいだったかなぁ。 そーいうマニアックな、一部の特定した人たちしか見れんかったもんの価値を知るようになる。 ちょうど、オタク創世記の時代だな。 「遊星より愛をこめて」 題名だけは知っておった。 噂によると、原爆という言葉が出てくることがネックになり、欠番になったということである。 見せないと言われると、見たくなるもんである。 ネットと共にオークションが、市民権を得た頃にビデオにダビングされたもんが多く出品されておったらしい。 俺は、いまだにオークションってもんに参加しておらん。 見たいとは思うが、大金を払ってまで、手に入れようとは思わんのだ。 そこら辺が、金を稼げないオタクに甘んじる理由なのかもしれない。 
 オークションによって、儲けておった連中も、これ又、ネットにしてやられる。 ネットによる映像配信が、出来るようになり、一気に価値を下げたというか、コピー天国の発生である。 なんでもそーだが、良い点と、悪い点は、表裏一体である。 良い点だけのもんなんぞ、この世の中には、存在せん。 下らんことだが、世の中をどーいう風にすれば、よりよく流れるのだろうか? と、バカみたいなことをずーーっと、今でも考えておる。 だが、この表裏の理論から逃げることが出来んのだ。 良いこと、悪いこと、まぁ、あれだ、個人的見解であり、文化の違いであり、そこに良いか、悪いかというのは、実は、存在しておらんということだ。 

 話が反れたな。 久々にネットの映像検索を「遊星より愛をこめて」 で、してみた。 あった! いやぁ、何十年も何回も、ウルトラセブンを見てきてだな、初見の話があるなんて、ちょっと嬉しかった。 この歳になって、初めて見るセブンが存在するなんて!! 映像は、数回のダビングを繰り返し、若干、うねうねしておったけれど、見れるレベルであった。

 どこら辺がネックになっておるかっちゅーと、そのものズバリ! 「原爆病」 って言葉だな。 監督が実相寺昭雄だから、まぁ実験的な映像なんだ。 これも拍車をかけておる。 メトロン星人で使われておった夕日をバックに戦うというシーンは、既に使われておった。 話しは、放射能によって、絶滅寸前のスペル星人が、人の血を搾取し、生きながらえようするんだが、あるとき、子供の血が純粋で綺麗だと気付くのだ。 そして、「そうだ! 子供の血だ!!」 と叫ぶシーンが一番怖かったけれどな。 ラスト、夕日の逆光に4人後ろ姿で出てくるというシーンで、終わるんだがシュールだよなぁ。 
 余談だが、そのあと、再度、検索したら、海外のサイトで、超綺麗な 「遊星より愛をこめて」 が出てきて、何故に? と、思ったら、アメリカでは普通に放映されているのね。 ってことは、フィルム現存してんじゃーんってことになる。 ちゃんちゃん。