相変わらず、ガラ携

 世間じゃ、スマホは第何世代になるんだ?5G とか言われているけれど、俺にゃ関係なく、相変わらず、わずか数パーセントしか現存しておらんガラ携所持者だ。メールに電車の遅延と乗換案内、天気予報が見れれば、不自由はしない。残念ながら天気予報は、サービスが終了しちまったけれどな。通勤電車の中で、やっきになってスペースを確保し、スマホをやっている連中の気持ちがさっぱり理解不能だ。笑っちまうくらいのスピードで画面をめくっているヤツを見ると、すまんがアホにしか見えん。
 そんな、スマホをやっている連中の気持ちがさっぱり分からないのに「スマホ脳」を読んだ。ちょっと前に世間で流行っておった。スマホをやらないけれど、やっているヤツの脳の動きを知りたいと思った訳だ。

 考えてみれば、家の中でしかパソをいじくれんかったのが、街中に持ち出せるようになった時点で、人は、ヤバかったよ。あんな面白いもんを街中に持ち出せ、気軽に人と交流が出来るし、発信が出来る。でも、四六時中やっておっていいのか?という疑問はある。俺も、パソ創世記に朝から晩までやっておったから、分かるんだ。すべてがパソに縛られてしまう。起きて、まず、パソを立ち上げて、掲示板の確認をしておった。当時は、掲示板か、チャットしかなかった。返信を打つと相手の返信が気になるわけだよ。今度は、職場のパソをちょろちょろっといじくって、返信の確認をしたりするようになる。この世界のどこかに俺のことを知って発信してくれる人が居るというだけ、刺激的だった。街中で、知らん人になんぞ、みんな話しかけんくせにパソの世界じゃ気軽に話しかけ、普段とは違う自分自身が存在したりする。

 エロい映像も気軽に見れるし、当時は、明確な規制なんぞなかったから、表立ってヤバいのがゴロゴロしておったし、2ちゃんねるも奇人変人のるつぼだった。世間もセキュリティが弱かったから、侵入しデータを取り出し、夜中に発信しておった。そんな面白いことが家から飛び出してやれるようになっちまったら際限なくなっちゃうよな。
 人格形成がまだ、ガキんちょの頃じゃ、影響は計り知れんよ。

 この本、精神科医が書いておる。だから、昨今の通院してくる患者の傾向から切り裂いてくる。鬱を疑って病院にやってくる若者が多いとのこと。欧米は日本に比べると、以前から精神科への扉の間口は開かれているように思う。仕事であれ、家族のことであれ、精神的に追い込まれると普通に精神科に行くという流れが出来上がっている。日本でも徐々にそういう傾向になってきてはいるけれどな。

 ここ数10年の周辺機器の進歩は、バイクに乗って駆け抜けてゆくような感じだった。走りだしは当然、スピードも乗っていなかったんだけれど、今じゃすり抜けをして先へ先へと突き進んでいる。プロだけが進化の担い手だったのが、素人もそれに加担し始めたことが原因しているのだろう。そして、端末の進化によって、より一層、発信が簡単になり、誰でも出来るようになった。スマホという端末を利用して。

 スマホという自由度の高い情報端末を手に入れ、使い方も自由だ。日本は、特に規制がされておらんから色んなことが起きている。掲示板、チャットと移行していったとき、本当に創世記から関わっている人に質問したことがある。掲示板でもチャットでも、クラッシャー、若しくはガイキチはいるのだ。バランスがとれた状態を壊しにかかる連中ね。そーいう連中は、昔っから居たのか?と質問した。そーしたら、「そういう奴は、昔から居るし、これからも居る。新しいものが出たらそれに移行してゆくだけで、絶えることはない」
 ある意味で、バーチャルな世界はすでに構築されている。その世界でだけ存在が認められる人たち。ネット空間の住民は、好きなように自分自身を繕うことが出来る。犯罪者は言葉巧みに獲物を釣る蜘蛛の巣を張り、偽りの世界の住人は、偽った世界を広げてゆくのだ。

 偽っているものだけがすべてではない。確かにこのコロナ禍で、SNSに助けられたという人も多い。言葉で発することは出来ないけれど、言葉を打つことでだったら、相手に伝えることが可能だ。匿名性を脱却すると、円滑にコミュニケーション出来、誰かを叩くということもなくなるんだろうな。

 今更、スマホを亡き者にすることは出来ない。何のためにスマホを使っているのか?ということを理解しておらんと、スマホがすべての生活になってしまう。その人の限界が、スマホということになる。裏を返せば、スマホがないと、何も出来ないってことだ。これから先、AIが進化して、一人一人にバーチャルリアリティーが与えられ、自分自身の好きなように世界を構築するようになってしまうのかな。自分自身の作った世界に押し込まれれば、人は、争わなくなるのかねぇ。

個人的な見解

 このところ、活字中毒が再発し、せっせこ読んでおる。数冊同時に読んでいる。以前は、「げぇ」って思ったけれど、数冊ずつ読んだ方が、煮詰まらないんだよ。小難しい本を1冊せっせこ読んでおると、眉間に皺を寄せて、悶絶しながら読み、なかなか読み終わらないから苦痛になってくる。それを回避するのに多読するのが楽と気づいた。同じような本を同時に読んじゃダメだよ、ジャンルの違う本を揃えておくのだ。以前だったら、2冊カバンの中に入れるだけで、大変なことになっておったけれど、電子書籍にしてから、数十冊持ち歩くことが可能になったからな。まったくもって、便利な世の中になった。

 最近の俺が頻繁に読んでおるのは、エディの追悼本だ。まぁ読むと、新しい発見と、そーいうことか!という謎が解けたりする。エディのライヴにおける演奏力の高さは、驚きだ。あの演奏を飛んだり、跳ねたりしながら弾いていたんだからな。ボーカルに応じて、キーを変えて演奏していたのも驚きだ。考えてみれば、ギターのチューニングがEADGBEと決まっている訳ではなく、曲に応じてチューニングを変えることはOKなんだ。ドゥージル・ザッパがアンチャインドを弾いているのを聴いた時、音が違う気がしたんだ。あの時の感覚は、正しかったんだと改めて思った。

 でも、ライヴでそこまでやることは、難しい。ドラムは良いとしても、ベースは、チューニングを変更しないと演奏についてこれない。
 そー考えると、マイキーにしても、アレックスにしても、エディに対応する演奏をしていたということになる。それは、ある意味で凄いよな。アレックスの単調なドラムも、実は、エディの演奏を考えての事の可能性もある。アレックスは、元々フルバンドでドラムを叩いていたらしい。だとしたら、オールラウンダーの筈だから。
 第一線で活躍しているアーティストのインタビューを見ても、リスペクト感が半端ないもの。ヌーノがコピー出来ない曲があるんだとさえ思った。

 寝る前に読むのがエディ追悼本で、普段は、俺が興味のあることが書かれておる本をせっせこ読み、そして、もう一冊が歴史小説なのだ。
 今まで、歴史小説なんぞ、これっぱかしも興味がなかったんだ。だって、既に起きて分かっていることを小説に書いてもしようがないだろ?と思っていたからだ。
 じゃー、何故読むようになったか?拾った明智光秀の本が面白かったからなのだ。「あぁ歴史って、解釈なのね」っと思ったわけ。オリジナルがあり、解釈次第というのは、クラシック、落語、ジャズ、歌舞伎と結構多い。歴史も大まかなことが、こーありましたというだけだから、そっから先は、書き手の筆次第ということになる。

 それを読んだ後に読んだのが司馬遼太郎の「国盗り物語」だった。再び、明智光秀を読んでみた。実際は、斉藤道三が読みたくて買ったのだが、結末が光秀だった。光秀物を2冊読んで、キャラクターの設定が違うから、結末は同じだが、そこまでの過程が変わってくる。片や、頭脳明晰の良いやつ光秀、片や、頭脳明晰ではあるが、気が弱い光秀ということになる。「国盗り物語」の面白いところは、斉藤道三、明智光秀織田信長という3人にスポットが当たっていることだ。

 道三が日本統一の道筋をつけ、それを信長が形付け、統一をやり遂げるであろうと思われたときに光秀の謀反である。歴史の流れで見ると、教師の力の入れ加減ではあるけれど、それでも1時間の授業の中で、語られて終了だろう。実際は、色々なドラマが、やはりあったのだろう。「麒麟がくる」の描かれ方も、ありだろう。
 N〇Kの大河ドラマが嫌いだった。何故にそんなに視聴率がある?と思っていた。とっかえひっかえに多様なドラマを作りおってと思っていた。その部分は、変わりないかな。歴史小説を読み始めると、役者が演じておるのを見て「そーやって演じちゃう」と演じ方に突っ込むようになる。小説を読んで、先人に肉付けされ、こんな感じの人なのかなぁっと出来上がってくる。ちなみに「国盗り」を読んでから、もっくんの道三の演技は、疑問を感じる。あんな奴じゃーない!

 為替のことを本で読んでいた時に「為替を知りたかったら、歴史を勉強しなさい」ということが書かれていた。読んで、何となく意味は分かったけれど、明確なビジョンは出てこなかった。でも、歴史小説を読み、コロナ禍の人の動きを見てゆくと、人の予測は、どんな物事も、人の動きを予測することは出来ないと思った。俺個人的な意見だけれど、コロナ禍の世の中の動きは、数十年掛けて動いてゆく状況を数年が駆け上がっている。これは、凄く面白いことなんだと思う。先を予測する術を得るチャンスでもあると思える。時代の岐路に接する機会は、貴重だよ。

ヤングギター12月号

 エディが亡くなって、間もなく2月になる。未だにYAHOOのニュースで新しいトピが上がってくる。新しいのが出てくると、とりあえずは全部読む。最近の俺の日課かな。そろそろ追悼版が出るころだと思い。電子書籍に切り替えてから、ほぼ本屋を見に行くことはなかったのだが、頻繁に通うようになっておった。待てど暮らせど本屋にエディの表紙の雑誌が飾られん。地元のちっこい本屋に通っておったんだけれど、音楽雑誌の老舗くらいは、入荷するだろうと思っていたのだが大間違い。本屋も普段売れん本なんぞ入荷せんのだよ。それでもヤングギターの発売日の次の日くらいから探し始めたけれど、見つからん!!どーいうこと!!と思い。ナマゾンで検索してみたら、あるじゃん、エディがフランケン弾いてるジャケットで発売しとるじゃん。ポチっとなしようと思ったら、正規流通売り切れで、高値で取引されておった。それも倍以上の金額で!!もぉー止めろよ、ファンでもないくせに買って転売するのさ。
 
 ナマゾンで手に入らんでも、店頭にまだ残っている場合もあると思い、探してみたがない!かみさんは、俺がヤングギターが手に入らず、日々消沈して帰ってくる姿を見て、店員にスマホでヤングギターの表紙を掲げながら、「エディ・ヴァンヘイレン特集のヤングギターはありませんか?」と捜索してくれていたらしい。なんともありがいことだ。今まで、ヴァンヘイレンの「ジャンプ」までは知っていたであろうが、ギターをニコニコ弾いているヤツがエディ・ヴァンヘイレンだとは知らなかったであろう。

 そして、祝ヤングギター増刷が決まり、ナマゾンで正規ルートで予約をポチっとなして、昨日手元に届いたのだ!!隅から隅までエディですよ。ページの端にエディ語録まで入れているエディ愛に溢れた編集になっている。うちらにゃお馴染みのスティーヴ・ルカサーのインタビューから始まる。まぁまぁ隙間なく小さい字で書かれておるもんだから、老眼鏡をかけながら読んでおる。
 その中にマイコーの「今夜はビート・イット」(邦題笑える)のことが書かれておって、ルカサーがスタジオに入ったとき、マイコーのボーカルとエディのギターソロに別なアーティストのオケがあって、収まりが悪いから、ルカサーとポーカロがボーカル、ギターソロ以外を録り直したらしい。流れてくる話と事実は、微妙に違い、当然、事実の方が面白いことが多い。エディの逸話にしても世に流れているのと事実は微妙に違い、事実は、奥が深く面白い話なんだろう。逸話に事欠かないという点でも、エディは大物の証だよな。
 大阪のライヴは観に行って良かった。フレディの時に思ったけれど、「いつでも観れる」なんても思っちゃダメなんだよな、今だって、コロナでライヴがやれなくなっている。その間も常に状況は、変化している。しかし、コロナのお陰で、ライヴが再評価されたことは良かったよ。ライヴが始まるまで、妙な緊張感と興奮に溢れ、始まって絶叫し、手を振り、頭を振り、疲れ果てるまで身体動かして、耳が聞こえづらくなって、大きな声で仲間とライヴのことを語りながら帰るのが正しいライヴの楽しみ方だ!
 
 これからも、エディは俺の№1だ!!

ありがとう、エディ

 7日の朝、いつものように寝起きにネットニュースを見ておったら、目を疑う記事が目に入ってきた。「エディ・ヴァンヘイレン死去」にいつものにこにこ顔のトピだ。YAHOOのトピで、ヴァンヘイレンが出てくるなんて、殆どない。検索して、毎回読んでいるくらいだからな。それが死亡記事だ。「嘘だろ」が第一声だった。志村けんが死んだときも衝撃だったが、その時の第一声は「マジかよ」だ。この違いは、マジかよは、半ば受け入れている、でも、「嘘だろ」は、受け入れがたいことなんだ。ガンを患っておって、闘病中とは聴いていたけれど、そこまで悪いとは、思っていなかった。オリジナルメンバーのライヴツアーの中止もヴァンヘイレン兄弟の蟠りで先に進まんかったのかもしれんと思っていた。

 エディがニコニコ笑ってギターを弾いている姿を見て、「いつかは、エディも死んでしまうんだろうなぁ」とは思っていた。当たり前だ、俺よりも10以上年上なんだからさ。でも、こんなに早く来るなんて思っていなかったよ!

 エディのギターを一途はじめに聴いたのは、阿久雄が中古で買ったと思われる Diver Downだった。1曲目のWhere have all good times gone! のリフから衝撃的だった。聴いたことがないギターの音だった。単純なディストーションを掛けた音ではなく、顔をぶっ叩かれるような衝撃的な音にあのリフだ。そして、ギターソロでもお馴染みのCathedral、どうやって音を出しているのか、見当がつかんかった。ライヴビデオを観て、初めて納得した。俺のお気に入りのLittle gutars。イントロからぶっ飛んでいる、クラシックギター風なのだ。後半に音がリズムとリードにの二つになるけれど、一人で弾いているんだよね。ピックでバッキングを弾きながら、右手で、メロディーを弾いている。メインの曲になると、曲名の通り、ミニレスポールで楽しそうに弾いている。Youtubeが普及して分かったけれど、みんな、Little gutars好きなんだよね、俺だけじゃなかった。

 そのあとにファーストを聴いたんだ。ヘンテコ4人衆のジャケットはいけていないけれど、デビューアルバムで既に完成している。Runnin'with the devilのリフは、心の底から興奮する音だった。こんなカッコいいリフがあるんだと思った。ゆったりしたリズムで弾いているんだけれど、基本的なテクニックを積み上げてあんなにカッコいい曲が作れるんだ、完成されすぎ。

 俺のこれ又、お気に入りのJumpが入った1984。無駄なしの完璧なアルバムだ。スリラーが同時代に存在していなかったら、1位になっていたのに!ハードロックの古典になっている。

 これからも、エディの演奏に衝撃を受け、昔こんなギターリストが居たんだと思い、ヴァンヘイレンのアルバムを掘り下げられてゆくんだろう。そいつらは、きっと、俺と同じ衝撃を受けることになる。俺たちにとって、ロックの一つの時代が終わったんだと思う。

 エディ、これからも俺のヒーローであることに変わりはないよ。ありがとう、エディ。

暑いと、色んなことが起きる

 8月に入ってから、猛烈に暑くなり、いつもの湿気ムシムシのインドのような夏になった。相変わらず、マスクは外すことが出来ず、学生は、夏休みが短縮され、この時期、それなりに電車は空いておるのだが、中途半端なに学生が居り、ちょいとばかりうざったい。それでも、サラリーマンは、リモートが多くなったせいか2、3駅我慢すれば座れる。
 作れ作れ、売れ売れ、買え買えムードの世界は、膨張するだけ膨張しておったから、突然の進行をコロナで、妨げられたって感じだ。思いもよらぬ伏兵だな。

 しかし、デジタル機器が安価になったもんだ。Bluetoothの小型スピーカーが3000円ほどで手に入る。小型で、安価であってもデジタルだから、音が良いんだよ。はじめは、Bluetoothで使っていたんだけれど、音が悪い。特に低音が弱い、低音ジャンキーの俺として、一味足りないから、配線で繋げて音を出している。やっぱ、アナログ処理の方が音が良い場合もある。
 デジタルだから、音域が広いから、もしかしてベースアンプの代わりになんじゃね?と思って、繋いで音を出してみたら、やっぱ出る。久々にベースを弾いたよ。ビックリするくらいにへたっぴになっていた。弾いておらんのだからしようがないよな。指がもたつくから、分かっちゃいるけど、リズムは狂う。笑っちまうのが、チューニングが上手いことが出来んときている。以前は、チャチャっと出来たんだけれどなぁ。久々に弾いておると、やっぱ時間が瞬く間に経ってゆく。何回弾いても、上手くゆかん。初心者に戻った感じだ。

 今日は、おふくろの命日である。しかし、29日だと思い込んでしまい、昨日行ってきた。法事は、前後1週間の間にやれば良しとなっておるから、おふくろも負けてくれるだろう。暑い時期に死んじゃったもんだから、毎年、暑い思いをしてゆく。最近は、歳を食ったもんだから、それなりの格好をするようになった。灰色のスラックスに白のYシャツである。以前だったら、どこに行くにも関係なくジーンズに半そでシャツで行ったもんだが、かみさんと一緒になってから、なるべく普通の格好をするように努めておる。それでも,やはり地が出る時がある。

 墓参りに帰りにかみさんの実家により、昼飯を食って帰ろうと駅に向かって歩いておった。一車線相互通行で、端に歩行者道がある田舎によくありがちな道を歩いておった。ふと、対向車線側を見たら、車が通過後、おっさんが倒れた。車から落ちたんかと思った!しゃーねぇーなぁと思い、かみさんと一緒におっさんに近づいていったら、ぶっ倒れちゃってる。「こりゃ、熱中症か?面倒だなぁ、救急車呼ばなきゃなんないじゃん」と思った。「大丈夫?」と声を掛けたら、おっさん意識があり「あぁ酔っぱらっちまった」と来たもんだ。只の酔っぱらいかよ!と思い。とりあえずは、車道からどかして、歩道に入れようと思い手を差し伸べた。「暑いね、50℃ある」とか言い出して、面倒くせぇなぁ。「はいはい、立ち上がって、そこに居ると危ないじゃん、とりあえず、立ち上がって歩道に入ろう」そして、酔っ払いお得意の「大丈夫大丈夫」

 ちょっとイラっときて、「おっさん、そんなこと良いから、早く立ち上がれ」実家で、果物やらもらって荷物で片手埋まっているから、片手でおっさんを持ち上げようと思っているから、結構力を入れている。それにおっさんの言う通り、暑いしな。「とにかくさ、そこに居っと、危ねぇからさ」だんだん、言葉尻が荒くなってくる。全然、動こうとしないから、力任せに歩道側に持っていっちまおうかと思った。そんなことを考え始めたら、身体を歩道側に寄せてくれた。これで、一先ず安心だと思い、かみさんと駅に向け歩き始めた。「酔っ払いは、困ったもんだ」とかみさんに話しかけた。手荒い対応をすることがないから、ちょっとビックリしているようだった。「あの手のことをやるときは、あんな感じになるんだ」と説明した。

 おっさんが小さくなり始めた頃、「ありがとうね!!」という声が聞こえる。俺は、手を振って答えた。暑いと、色んなことが起きる。

 家に着くまで、数100メートルってとこで、タクシーが妙な位置で止まっていた。「変なとこに止っているね」「脇、チャリンコが止まっているから、接触したんじゃねぇの」タクシーの真横に着くと、倒れているばあちゃんと、抱えているじいちゃんが居た。「接触か、タクシーに乗り込もうとして、何か起きたか、どっちかじゃね」「大丈夫かな」「大丈夫だろ」一つ余計なことに関わったから、もう一つは、勘弁だった。タクシーの運ちゃんが居るから、大丈夫だろ。暑いから、色んなことが起きる。

 こーいったことが、冷静に見られるのも、ある意味で、生活が穏やかだからであろう。かみさんや、かみさんの家族に感謝している。そして、俺を俺らしくしてくれた、おふくろと弟に感謝している。

ローン・レンジャー

 職場に借金持ちが居る。まぁ、どこの職場にも借金持ちは居る。家を買って、ローンを組めば、立派な借金持ちだ。事業に失敗し、借金を抱えてしまうというのもある。こーいう方々は、正当な借金持ちだ。これとは別に借金をこさえる必要がないのにこさえる輩が居る。得てして、博打、女、酒の三番柱のうち、どれか一つに入れ込んでおる、又は、三本柱全部というヤツも居る。彼は、女に入れあげておるというか、過去に街中で出会った、一時流行ったちょい奇麗なお姉ちゃんが、訳ありげで引っ掛け、マンションの一室に連れ込み、あれよあれよと壺を買わされたり、違うお姉ちゃんに絵を買わされたり、風俗のねえちゃんに金を貸しちゃったり、当然戻ってこず、今は、家に行ったこともない、自称付き合っているという風俗のお姉ちゃんの娘にランドセルを買ってあげたり、金を貢いだりしておる。まぁ、風俗嬢を蔑視する訳ではないが、その手の商売をやっておる方々は、色々と訳があったり、生い立ちが複雑だったりするのだ。水商売が長かっただけにそこら辺のことは、よー分るんだよ。
 金が必要で、この商売をやっておって、目的がある人は、長居せずに抜けて行く。長く居つくのは、それなーりに訳があるのだ。

 自称付き合っているのに従弟と同居しているからと家に招かれたことはなく、いつの間に引っ越し、(家に近寄らせないのだから、引っ越して住所を教える必要があるかどうか分からない)でも、まだ繋がりはあるようで、当然、今の家にも招かれない。子供の入学式だといっちゃ50万円せがまれ、会うと金をせびられるようだ。それでも、付き合っていると言うところが訳が分からん。周りから、何を言っても聞く耳を持たない。その女が男と一緒に歩いているのを見て、詰め寄っても「この人が、私の一緒に住んでいる従弟なの」と言われりゃ、信じるんだろうなぁ、世の中には、訳の分からん壺売りや、客で行った風俗の姉ちゃんに金を貸し、自分の子供でもねえのにランドセルを買ってやるバカが居るのだ。

 結局、総額300万円ほどの借金になり、これだけなら、「頑張って、働いて返しや」と言って終わるとこだが、こんなバカちんなのに家のローンを支払っておるのだ。二十歳の時に母ちゃんが家を買い、そのローンの返済をせっせこやっている。そんな右も左のも分からん頃に借金を背負わせてしまうのも何だなとは思うが、それが月々10万円弱ある。10年ほど、せっせこせっせこ支払い続けておったら、母ちゃんが死んでしまった。母ちゃん存命の時は、10万円のローンを支払い、小遣いとして4万円をもらいこまこま生活しておった。それでも、壺は買わされておったらしいけれどな。母ちゃんが死んで、生活弾けてしまったのだ。

 当時の職場の上司も、そーいう気質は、見抜いておって気を付けておった。その術として、身の丈以上に金を稼がせず、暇を与えずという仕事のさせ方をしていた。如何せん、そーいう気質であってもだ、法律的には、大人だから、ヘルスに行ったり、道楽に好きなだけ金を使ったりするのだ。そして、勝手に好きになったお姉ちゃんに金を貢ぎ、あれよあれよと300万円なのだ。この金額でも既に140万円位は返済しているのかな。返済しているのにぃ増やしちゃっているという。

 さすがにこれだけの返済を月々やっておったら、満足に給料をもらっておらん俺たちのような輩は、首が回らなくなるだろ。こんな生活をしておって、毎月滞納をしておるのにだよ「大丈夫です、返せます」という神経がポジティブなのか、バカなの判断に迷うところだ。こんなバカ珍だから、返済が詰まってくると仕事に支障が出てくる、女と会うことが決まっておるとソワソワするのだよ。仕事に身が入らないからミスをする。俺たちもこんなにまで借金が溜まっているわ、滞っているとは思わんかった。仕事中のソワソワから、問い詰めたら、それが発覚したという訳だ。この手の輩は、嘘をつくから質が悪い。正直に言ってくれれば、しゃーないから対応をする訳である。嘘をつかれると、そのたんび対応の変更を余儀なくされるのだ。

 そんな訳で、俺の職場での仕事の一つとして、バカ珍の借金の管理というのが付け加わった。金にもなんねぇのに何故にそんなことをすることになったのか?金の管理に俺が長けておったということもある。元々俺も、金の管理なんぞこれっぱかしも出来んかったけれど、NYに行って以降、家計簿をつける癖がついた。長期間滞在すると、金のことが一番気掛かりになる。海外に渡るためには金が要るから、貯金をする術をつけた。そして、俺が決定的に金の管理に長けたのは、おふくろが入院した時だ。それでもあの頃の金の動きは、未だに思い出せない。それ位ひっ迫していた。みんなからのお見舞金が助けになったことは言うまでもない。それがなかったら金の捻出は出来んかったであろう。そのお陰で、俺自身も余計な勉強をしなければならず、借金の返済計画、借金の利子の計算式にも長けるようになった。

 今は、Excelを使って、家計簿をつけているから、楽だよね。入力して管理するだけだ。バカ珍の借金の管理もExcelを使って管理している。かみさんが食費の管理をしているんだけれど、俺の家計簿を見て、「私は、そこまで細かくは出来ないから食費の管理は出来ない」と言ってきた。これは、俺がやっていることで、かみさんは、好きにやればいいと答えた。当然、それで良いのだから。かみさん曰く「あなたは気づいていていないけれど、数字に強い筈よ」と言われた。俺自身は、数に関することは苦手だし、大嫌いだ。でも、答えが明確に出る数字というものは、楽で良いし、気持ちが良いとは思う。俺の計算式通りにやれば、借金の返済は出来るのに欲望に負けて金を使ってしまうんだよねぇ、こーいう計算通りに行かんことの方が厄介だ。

 海外に行くでなし、大金が掛かる趣味があるでなし、相変わらず、趣味で、こっそりCDを収集し(思いっきりばれているけれど)本を読む生活だ。金は、かみさんの為に残しておるようなもんだ。俺の方が先に行く、ささやかな餞別かな。

移動制限解除

 久しぶりにぎっくり腰になってしまった。ちょっとした油断だな。いい歳ぶっこいているんだから、気を付けりゃいいものを気を付けないんだなぁ、若いと思っているのかな。やってからいつも思うが、「あぁぁちゃんと気を付けて、立ち上がれば良かったのに」と思う。
 
 まぁ、だからといって、仕事を休める訳ではない。明日も、いつも通りに出勤する。そして、今日、移動制限の解除となった。俺としちゃ、何が変わる訳ではない。非常事態宣言が出てから、何の変化もなく仕事に出ておったからな、あっそって感じだ。

 まず、街に出て食事もせんし、酒も飲みに行かん。スポーツ観戦もしないしな、逆に在宅大歓迎だったのに在宅にならんかった。在宅だったら、本読んで、映画見て、音楽聴いて、ランニングして、健康的な生活を送っていたであろう。
 今回のコロナは、人としてのアナログ回帰になったのではないかと思う。結局、人は、顔を合わせて話をしなきゃ駄目だし、人が作っているものに不安を覚えたら、自分で作らなければいけないし、いっくらネットライヴ配信だったとしても、これ又、ライヴを目の前で見なきゃ駄目だっちゅーことに相成った。すべてが万事そういう訳でもなかったな、普段居らんかった旦那が家に居るようになって、不仲になってコロナ離婚なんちゅー言葉も生まれた。学校行けなくなって、万歳と思う学生も少なかった。こーいったことを経験した学生は、用心深くなるのかな。
 この混乱のおかげで、政治家に対して、根本的な力量を問うことが出来た。緊急時に要求される支持力であり、判断力がどういうものであるかを示すことが出来た。見る世界によって、判断の仕方は変わるからな。俺たちの見る世界と、政治家から見た世界は違うからな、只唯一、薄汚れた判断力だけはつけたくないもんだ。

 そして、この病気が、感染すると重症化する人と、感染しても普通に生活が出来、ウイルスのみをばらまく者に分かれるということもよく出来ておる。ウイルスによって、人は進化してきたという考え方があるが、ウイルスが体の体内に入って進化したという意味ではなく、ウイルスが流行することによって、人の生活が変化するという意味での進化も含んでいると思う。

 これから、夏になり、ウイルスが一時的な終息をするのか、変化ないのか。何にしても、秋口になると、どこからの国から、胞子が飛んでくるように流行し始めるのだろう。この数か月の間に経済は、低迷した。株や、為替のレベルではなく、うちらの生活レベルで、低迷した。東京オリンピックを見込んで、稼いでやろうと思っておった連中は、足元からすっ倒された感じだな。俺は、5月に新婚旅行を予定していたけれど、中止しなきゃならなかった。みんな誰しも予定しておったもんが出来なくなったり、駄目になったりした。タイミングなんてもんは、人がコントロール出来るもんじゃない。3.11の時だって、何故、このタイミングで起きるんだと思ったけれど、条件はみんな同じだ。その瞬間に生まれる生命もあるだろうし、人生の岐路の人も居るだろうし、俺のように家族が入院しておった人も居るだろう。

 今回のことに関しちゃ、世界レベルで一緒ということだ。だから、気にしたって、しようがない。世の中の起きていることに目を向け、予測を立て、直感を信じてみるのも悪くない。元来俺は、直感の人だからな。