この一月

 結婚式が終わり、この一月は、かみさんの親戚周りをしておった。かみさんのおやじさんの具合が悪くなり呼べなかったけれど、当然だが結婚したことを喜んでくれている。家族になった新参者の挨拶もあり、顔見世に周っておった。 

 見知っておる人も居ったけれど、知らん人も居る。 初対面の人と接することは出来るが、それでも俺なりに緊張はする訳だし、疲れもする。 「どんな人なんだろう」とか「受け入れてもらえるかなぁ」とか人並みに思うのだ。

 友達の両親、兄弟でもなく、会社の部署違いでもなく、友達の友達というわけでもない。今までになかった知り合いの増え方をするのだ。子供の頃 「あんたは、覚えてないだろうけれど、可愛がってもらったんだよ」と紹介される、おじさん、おばさんが居り、記憶にこれっぽちも残っていないから、緊張したもんだ。大人になって、そんな感覚を味わおうとは思っていなかった。それなりに日々、新しい発見があるもんだ。

 俺の中では、家族は減ってゆく一方だったから、増えるということは、嬉しい限りだ。二人を祝福してくれたことが何よりも嬉しい。

感謝

 精神的に幼かった頃の俺は、何事もやるきることが出来ん堪えどころのないガキだった。 何をやっても最後まで、やりきることが出来んのだ。 免許を取りに行こうと手続きをして、金を振り込んでも、続かないのだ。 普通は、取得するよな、これが出来んのだ。 すべてが万事この調子だったから、おふくろも苦労したことであろう。 今の職場で、俺を語るとき、「昔の俺は、どうしようないアホだった」 と称する。 今となっちゃ端か見ると、ちゃんと物事が出来る常識人のように映るのであろう。 そんなの嘘っぱちなんだけれどな。 
 質問されたのが、何を境に出来るのようになったんですか? である。 俺のターニングポイントは、初めて行ったNYである。 ここで、すべてのルールを教わり、作り、実行できるようになった。 だからといって、すべてを完璧には行えない。 俺にとって、「はい、合格」 というラインまでである。 収めるところまで、しっかりやりきるということである。 

 結婚式がそのよい例である。 

 まさか、俺が結婚出来るとは思っていなかった。 誰もがみんな、そー思っているかもしれないな。 俺の場合、如何せん、普通に歩んでくることが出来なかったから、それを受け入れてくれる人が居るだろうか? と思っていた。 友人関係は、俺自身が選ぶし、友人からも選ばれる。 こいつ嫌いだ! と思えば、去って行けばよい。 だが、夫婦となるとそーいうわけにはいかない。 役所にさ、とりあえず、書類出しちゃっているからね。 同棲まではするだろう、でも、結婚のハードルはなかなか高い。 俺自身の内面的な問題もあるだろうし、相手もある。 俺が、「さあ、結婚するぞ」 といっても、相手が 「あんた、なんか嫌よ」 と言われれば、それまでである。 俺には、家族は居らんけれど、相手には、家族が居る。 そんな中にアウェイで入り込んでゆくわけだからなぁ、なかなか手強い。 

 何故、結婚しようと思ったか? 俺がかみさんに結婚を申し込んだら、「何故、結婚しようと思ったの? 別に同棲でもいいでしょ?」 といきなり聞かれた。 ちょいと面食らったけれど、自分自身の本心にお伺いして聞いてみた。 「きっと、これから先も一緒に生きてゆくであろうから、だったら、結婚するべきだと思った」 こー答えたのだ。 そしたら 「判った」 とOKが出たのだ。 何だろうなぁ、要所要所で、試されているような気がするときがある。 一緒に住むことを決めたとき、ご両親に承諾を受けに行ったとき、一人で行かされた。 「マジかよ、俺一人で行くのかよ」 と言ったら、「当然」 と言われた。 この話は、かみさんの兄弟でも、話題になった。 どんでもないヤツが来たと称された。 

 まぁ、ここまで行くまでの間に俺自身のことは、すべて話してあった。 俺が何もんであるか、そして、これまでに起きたこと、俺には、家族も居らんし、財産もないし、何もない、あるのは、俺のみだ。 

 そうそう、結婚式に段取りをしておるとき、長いこと一人で物事を決めてきたから、その癖が出て、一人で、決め始めたが途中で、「俺、一人じゃないんだ」 と、思いなおし、かみさんに確認しながら詰めていった。 二人の共同作業だ。 はじめは、かみさんの家族を呼んで、食事会をしようという話しだったんだけれど、おやじさんが病気になり、そーいうわけにはいかなくなり、だったら、二人で結婚式を挙げようかという流れになった。 だったら、俺の友達呼んでいい? ってことになり、姉弟に報告したら、だったら行くよという話しになり、あーいう形になったんだよ。 当初、考えていたのとは、まるっきり形が変わってしまったのだ。 俺たちらしいねと話したんだけれど。 

 最後にスピーチのとき、思わず、泣いてしまったのは、おふくろ、弟の写真を見て、そこに友人の姿を見たからだな。 一気に色んなことを思い出したのかな。 歳を食うと、涙もろくなっていけない。 殆ど、娘の結婚式で、泣いちゃう父親の乗りだな。 かみさんにウエディングドレスを着させることが出来て、良かった。 

 結婚式に足を運んでくれた、やまけん、阿久雄、そして、俺を励まし、助けてくれた友人たちに感謝、おふくろ、弟にありがとうだ。 

終了~

 無事、結婚式終了!! 準備やら、何やらでいろいろ大変であった。 でも、一つの区切りとして大切なことなんだな。 来てくれた方々ありがとう。 

 やまけん、阿久雄、楽しい時間だった!! 阿久雄監督、良い仕事だった。 かみさん大喜びだ、俺は、ちょっと恥ずかしくて見たくないけれど。 とにかく、みんなありがとう!!

一段落

 仕事を持ち、家庭持ちも居ると、なかなか会えんもんだ。 50を過ぎると、それなりに会社でも地位があったりするもんだ。 俺はないけれどね。 仕事を簡単に休めない。 でも、時間の経過は早い。 あっという間に1年が過ぎ去ってゆく。 ガキの頃、時間の経過が遅いのは、毎日が新しいことばっかだから、頭が必死こいて動いているせいらしい。 ある程度の年齢になると、先が予測できるようになり、毎日が退屈になってくる、違うな、日々、平穏になり、ふと気づけば朝になっているという生活になるのかな。 

 だとしても、1年は1年なのだ。 俺自身が平穏であっても、みんなが平穏であるとは限らないのだ。 当たり前だが、俺がマラソンの練習に感けておるときでも、時間は動いており、何かが起きておる訳だ。 只、知らないというだけだ。 会っておらんと特にそんなことに遭遇するわけだ。 2年くらいで、いきなり老け込んじまったり、何だから知らんが若返ったり! 転職してたり! 

 俺は、おふくろも弟も写真で一緒に居られる状態になっちまったから、気軽だ。 海外旅行も、リュックの中に納まり、一緒にゆくことが出来る。 家族が居るということは、色々起きるという事だ。 普通に時間が流れてゆく家庭もあるし、普通に流れてゆかない家庭もある。 

 青梅も終わり、やっとこさ足の回転と風景が合ってきた。 結婚式に向け、二人して準備を進めてゆく。

そして、筋肉痛

 2月15日に婚姻届を役所に出してきた。 前日に書面を確認をしに役所に行った。 テレビのように 「結婚ですね、おめでとうございます」 とは簡単に受け取ってはくれんのだ。 目を皿のようにして、不備がないかどうかの確認が行われ、はじめて受理される。 不備があると、受理されず、修正で受理されれば良いが、決定的な間違いだと、始めっから書き直しになるのだ。 当日、休みが取れず、夜勤から出勤予定で、必ず、昼間にすべてを終わらせねばならなかった。 

 1時間ほど掛かり、無事受理された。 毎日、忙しくその日に向かって突き進んでいるようなもんだった。 それでも、彼女が俺の苗字で名前を記入して、「あぁ責任持たなければいかんのだなぁ」 っと思った。 

 そして、昨日、無事青梅マラソンを完走。 インフルエンザになり、2週間で練習をして、出走だったから、距離に慣れていないから、こてんぱんにやられるであろうと思ったが、その通りになった。 練習は、嘘をつかない。 やったら、やった分だけ答えてくれ、やらなかったら、そのようになるのである。

 3キロ地点で、猛烈な尿意に見舞われ、近くのトレイに行くも、俺と同じような連中が居り、1つのトイレに5人ほど並んでおり、俺の前は、女性ときてる。 こりゃ、時間が掛かるなぁっと思いながら横を抜けてゆくランナーを見ていた。 ドンドン抜かされてゆき、ふと見りゃ最後尾を確認しながら走ってゆく一番最後の警察官ランナーが! おいおいおい、完全なびっけやん。 

 そんな訳で、最後尾からのリスタートになり、いつもより多めに走っていますとばかりに抜かしまくり、ランナーが込み入っているポジションまで、必死こいて戻した。 結局、疲れすぎて、ペースガタガタだし、練習不足の悪循環、最悪の記録で、ゴール!! でも、これだけ込み入った日々、練習して完走できたのだから、嬉しかった。 とりあえずは、一段落だ。 

 そして、寝て起きると筋肉痛・・・。

戸籍謄本

 1年ぶりくらいにOH井町に行ってきた。 感傷にかられて、ぶらっと来たわけではなく、婚姻届を出すためにOH井町に置いてある戸籍謄本を取りに来たのだ。 サイタマンに引っ越したときに一緒に持って行けばよかったのだが、何となくこっちに置いておいた。 住んでおった証を置いておきたかったのかな。 
 
 婚姻届を出すということは、改めて戸籍を作るっちゅーことで、戸籍謄本が必要になる。 謄本ってさ、筆頭者死んでもそのまんまなのね。 おふくろが作った戸籍だから、筆頭者おふくろのまんまなんだ。 そーいった意味でも、残したかったのかな。 俺自身、ある意味で気軽に 「結婚しようか」 とは言ったけれど、実際動いてみるとだな、それなーりに責任を感じたりするもんだ。 

 50年間、東京に住んでおって、50過ぎてサイタマンにやってきた。 端から見ると、只のサイタマンなのだろう。 住めば都とは言ったもんで、登場線に乗って、越境してサイタマンに入ると、帰ってきたなぁっと思うようになっている。 

 久々にOH井町に降り立ったけれど、人がごちゃごちゃ居る感覚に懐かしさと、地元だという自信が沸いてくるっていうのかなぁ、変だけどそんな感じなんだ。 変わっても、ガキのころから親しんだ街だからな、帰ってきたなぁって思える。 広町、綺麗に無くなっていたね、取り壊すのにあれだけ引っ張っておったのに壊して、次のもんが出来上がるまで早かったな。 四季の劇場と、何かスポーツ施設が出来上がっておったな。 土地の起伏が唯一の名残かな。 商店街も立ち退きが決まっておるのか、シャッター商店と化していた。 俺もちょこっとづつこの街から離れてゆくんだろうなぁ。 

デェ~ロッ!!

 去年から今年にかけて、何回目かのクイーンブームがやってきた。 だが、今回のが一番デカイ。 ブームの火付けについては、どれだけ各世代のゼネレーションを巻き込んでゆくか? っちゅーことが重要だ。 映画の興行収益にしても、本の売り上げに関してもそーだ。 どれだけ多くの世代が知っておって買ってくれるかがブームを牽引する原因である。 一つの世代に受け入れられたもんは、スタバやマックで、ひっそり話題になってお終いだったり、もうちょい拡散するとネットの話題になり、ヤッホーニュースになったりと、その度合いによって扱われ方が変わってくるんだな。 テレビで扱われた頃にゃ、近所のおばさんが知っているレベルだ。 大ブームってことである。 

 今回のはデカかったねぇ、ネタ元が映画だからな 「ボヘミアン・ラプソディー」 ママミヤのあれ。 クイーン フレディーの数奇な運命と副題をつけても良かったな。 

 ガンダムや、ドラゴンボール、スター・ウォーズは、新作が出て各ジェネレーションにアプローチをかけて、新作によって、新しいファンを確保し、金を集金し財団を維持するわけだ。 しかし、新作が出ない場合は、なかなか難しい。 死んじまって、ネタがないのに新作を作り続ける場合もある。 まぁ音楽が一番多いよな。 有名なヤツでは、ジョン・レノンか。 死んでから小出しにアルバムを出しておったな。 ネタ切れと見えて、ベスト、リマスターの発売が顕著になってしまっておる。 頑張れ、オノヨーコ。 マイケル・ジャクソンも可愛そうに財源確保のネタ元になっておる。 もう1、2枚新作と称してアルバムが出てきそうだな。 プリンスもこれから頻繁に出てきそうな感じだが、エピックと仲たがいし、版権を持っておらんから原版からリマスターが出来ないのは痛いなぁ。 どんなに頑張っても、原版からリマスターせんと良い音は確保できん。 

 さて、今回の映画、ボヘミアン・ラプソディーであるが、オープニング、ライヴ・エイドに向かうメンバーのシーンから始まる。 はっはぁ終着点は、ここだなっと分かる。 それでも、ステージの袖口か見える観客のシーンは、なかなかの圧巻である。 映画を見る前にライヴ・エイドをおさらいしておったから、この映像がないことは判っておる。 この映画で使われておるライブ・エイドのシーンは、すべて改めて撮り直したことが伺える。 個人的にちょっと残念なのが、そこまでやるんだったらライヴ・エイドそのまんまのアングルで撮ってもらいたかったんだよなぁ。 

 こーいった部分もそーなんだが、映画としての部分のこだわりなんだろう。 変な話だが、前評判で泣ける! と謳われておったから、いつ泣けるいつ泣けると身構えちまったよ。 結局最初っから、最後まで泣けんかったよ! なんだろう、知りすぎておったから、「おぉこー持ってきたか」 とか 「こーするか」 とか思うほうに気が行ってしまい、結果純粋に感動は出来んかった。 

 それでも、細部にわたり、よー出来ておる。 バリライトを使ったステージの再現。 閣下の着る衣装の再現、バレエのポーズ最高!! ボヘミアン・ラプソディーのプロモ撮影も、ロジャーが左側に傾いておるのまでちゃ~んと再現。 そして、閣下、ブライアン、ロジャー、ジョン役の頑張りだな。 ブライアン、ジョンは、クリソツだった。 特にジョンの上目遣いとちょっと猫背が絶妙だな。 4人ともステージアクションに関しては、よー頑張ったね。 

 さて、俺が何故に感動出来んかったか? それは、事実の方を重んじてしまっているからなんだろう。 映画だと、ライヴ・エイドの演奏は急遽決まり、ライヴ活動もしておらんかったってことになっておるけれど、実際は、レディオガガツアー終盤じゃなかったっけ? 仲も悪くなかった。 クイーンってさ、大人のバンドだから、喧嘩はしないんだと思う。 なーんとなくメンバーと会わなくなって、妙な空気になることはあっても、言葉に出して悪くなることはないんじゃないのかな。 

 クイーンが実際、結束するのは、ONE VISIONからだ。 そこからもう一つのドラマがあり、終焉に向かってゆくのだ。 だからといって、映画が悪いといってる訳ではない。 映画としては、良く出来ている。 閣下のバイセクシャルの苦悩。 名曲誕生のエピソード。 ウェンブリー・スタジアムの俯瞰からの映像。 
 クイーンを深く知らない人にとっては、ライヴ・エイドが終わった先を想像しながらエンディングを見るわけだ。 そこで、涙するんだろうなぁ。 そんなこんなで、俺と彼女もクイーンブームに踊らされ、日々クイーンを聴いておるわけです。 

 それで、今更判ったことなんだが、ブライアンのギターが計算された音作りだったということに30年以上掛かって判ったよ。 ブライアンのギターの音をはじめて聴いたとき 「何て、腰の抜けたギター音なんだ!」 と思った。 その頃、ディストーション、ギュイ~ンのKISSの音ばっか聴いておったから、受け付けなかったんだね。 改めてクイーンとしてのアンサンブル、オーバーダブしたギターの音を重ねる場合、あの音じゃないと何をやっておるのか、さっぱり判らんことになる。 あのバイオリンのような音だから、重ねると、ストリングスのような感じになるんだな。 あの音は、かなり苦心して作り出したんだろうなぁっと通勤電車の中で気づいたよ。 すまん、ブライアン・・・。