感謝

 精神的に幼かった頃の俺は、何事もやるきることが出来ん堪えどころのないガキだった。 何をやっても最後まで、やりきることが出来んのだ。 免許を取りに行こうと手続きをして、金を振り込んでも、続かないのだ。 普通は、取得するよな、これが出来んのだ。 すべてが万事この調子だったから、おふくろも苦労したことであろう。 今の職場で、俺を語るとき、「昔の俺は、どうしようないアホだった」 と称する。 今となっちゃ端か見ると、ちゃんと物事が出来る常識人のように映るのであろう。 そんなの嘘っぱちなんだけれどな。 
 質問されたのが、何を境に出来るのようになったんですか? である。 俺のターニングポイントは、初めて行ったNYである。 ここで、すべてのルールを教わり、作り、実行できるようになった。 だからといって、すべてを完璧には行えない。 俺にとって、「はい、合格」 というラインまでである。 収めるところまで、しっかりやりきるということである。 

 結婚式がそのよい例である。 

 まさか、俺が結婚出来るとは思っていなかった。 誰もがみんな、そー思っているかもしれないな。 俺の場合、如何せん、普通に歩んでくることが出来なかったから、それを受け入れてくれる人が居るだろうか? と思っていた。 友人関係は、俺自身が選ぶし、友人からも選ばれる。 こいつ嫌いだ! と思えば、去って行けばよい。 だが、夫婦となるとそーいうわけにはいかない。 役所にさ、とりあえず、書類出しちゃっているからね。 同棲まではするだろう、でも、結婚のハードルはなかなか高い。 俺自身の内面的な問題もあるだろうし、相手もある。 俺が、「さあ、結婚するぞ」 といっても、相手が 「あんた、なんか嫌よ」 と言われれば、それまでである。 俺には、家族は居らんけれど、相手には、家族が居る。 そんな中にアウェイで入り込んでゆくわけだからなぁ、なかなか手強い。 

 何故、結婚しようと思ったか? 俺がかみさんに結婚を申し込んだら、「何故、結婚しようと思ったの? 別に同棲でもいいでしょ?」 といきなり聞かれた。 ちょいと面食らったけれど、自分自身の本心にお伺いして聞いてみた。 「きっと、これから先も一緒に生きてゆくであろうから、だったら、結婚するべきだと思った」 こー答えたのだ。 そしたら 「判った」 とOKが出たのだ。 何だろうなぁ、要所要所で、試されているような気がするときがある。 一緒に住むことを決めたとき、ご両親に承諾を受けに行ったとき、一人で行かされた。 「マジかよ、俺一人で行くのかよ」 と言ったら、「当然」 と言われた。 この話は、かみさんの兄弟でも、話題になった。 どんでもないヤツが来たと称された。 

 まぁ、ここまで行くまでの間に俺自身のことは、すべて話してあった。 俺が何もんであるか、そして、これまでに起きたこと、俺には、家族も居らんし、財産もないし、何もない、あるのは、俺のみだ。 

 そうそう、結婚式に段取りをしておるとき、長いこと一人で物事を決めてきたから、その癖が出て、一人で、決め始めたが途中で、「俺、一人じゃないんだ」 と、思いなおし、かみさんに確認しながら詰めていった。 二人の共同作業だ。 はじめは、かみさんの家族を呼んで、食事会をしようという話しだったんだけれど、おやじさんが病気になり、そーいうわけにはいかなくなり、だったら、二人で結婚式を挙げようかという流れになった。 だったら、俺の友達呼んでいい? ってことになり、姉弟に報告したら、だったら行くよという話しになり、あーいう形になったんだよ。 当初、考えていたのとは、まるっきり形が変わってしまったのだ。 俺たちらしいねと話したんだけれど。 

 最後にスピーチのとき、思わず、泣いてしまったのは、おふくろ、弟の写真を見て、そこに友人の姿を見たからだな。 一気に色んなことを思い出したのかな。 歳を食うと、涙もろくなっていけない。 殆ど、娘の結婚式で、泣いちゃう父親の乗りだな。 かみさんにウエディングドレスを着させることが出来て、良かった。 

 結婚式に足を運んでくれた、やまけん、阿久雄、そして、俺を励まし、助けてくれた友人たちに感謝、おふくろ、弟にありがとうだ。