ありがとうございます

 「もしもし、起きてた?脈が打たないの 今度は駄目かもしれない」 眠気眼で受けた電話は、かみさんからだった。去年の暮れ、かみさんの親父さんに食道癌が発見され、闘病しておった。9月に入り、いよいよ危ないと言われてから、間もなく2週間だ。
 仕事を終え、2時間ほど寝て起きるのが俺の生活のスタイルだ。このところ、寝起きの状態が朝と言わず、昼と言わず、疲れが取れん。取れん原因は、これだ。歳だなぁ俺も。

 籍を入れ半年を過ぎたあたりになるのかな。生活は、至って普通である。一緒に住み始めた頃と、何ら変わりはなく時間が経過しておる。二人して、他愛無い会話をし、映画を見たり、読んだ本について語ったり、起きたことを話したりして日々が過ぎ去ってゆくのだ。

 起伏なく時間が過ぎているようであるが、裏で、かみさんの親父さんの食道癌が進行していた。発見されたとき既にステージ4だった。おふくろもステージ4での発見だったから、どういう状態かは理解しておった。
 こんな時期だから、結婚は落ち着いてからするべきか、この状態だから、すべきだと判断は分かれるとこだ。はじめは、こんなわたわたするときに結婚なんてと守りに入った発想をした。ちょっと待てよ、こんな時期だからこそ結婚すべきなんじゃないかと思った。深いことは、相変わらず考えていないけれど、そーすべきだと思ったんだ。

 病状が進行し、緩和ケア病棟に入り、入れ代わり立ち代り家族が見舞いに来る。俺んちと違うから、色々と比べてしまう。何かが起きたときに家族は沢山いた方が良い。これは間違いない。助け合い、励ましあい、知恵を出し合って対処する。これが普通の姿なのだろう。
 色々見て経験したから、よっぽどの事がない限りは、動じることはない。しかし、死に向かう人を看取るのは、やはり疲れる。

 「ゆっくり来てくれて、大丈夫だから」と、かみさんに言われ、病院に向かっておった。10日前に発作が起き、3日が山ですと言われ、お母さんが泊り込み、山を越え、小さな変化はあるけれど、呼吸は安定していた。病人の付き添いは、2週間が限界らしい。強い心臓を持っていると、耐えれてしまうのだ。先週、親父さんの手を触ったら、温かいのだ。水分も点滴も取っていないのにまだ、身体の中にこれだけの熱を発する力を持っていると驚いた。身体が強い人なのだろう。

 明け方が山かなぁっと思い、明日の勤務を誰かに代わってもらわなければならないかなぁっと、ぼんやりと考えていた。俺が何をしてやることがあるのか?と聞かれると、大してやってあげられることはない。近くに居てあげる事ぐらいしかないであろう。言葉を掛けるにしても、なかなか気の利いたことなんぞ言える性質じゃないしな。口八丁手八丁の人が羨ましく思う。

 駅から、病院へはバスになる。土曜日だから、電車は思っていたほど混んじゃいなかったが、バスはそこそこ待っている。関東近県は、進めど進めど家が途絶えない。ランニングしておって、「こんなとこにも家があるんだ、どうやって会社に通っているんだろう?」と思うことがある。色んなとこに人が住んでおる。当たり前だけどな。
 
 家族が病気になると、見える世界が変るのだ。平凡に暮らしておる人達が不思議に感じる。自分自身も同じように平々凡々に暮らしておった筈なのに家族が病気になったりすると、世界が一変する。下らない疑問だが、何故、病気になってしまったんだろうと思う。過ぎ去ってゆく風景が静止画のように見えるんだ。俺は、義理の息子だから客観視出来る。家族は違うからなぁ。

 病院に着き、面会受付で、バッジをもらう。「行き方は、分かりますか?」「はい、大丈夫です」何度も来て居るから、行き方はよー分かる。4基あるエレベーターのうちの1基がすぐにやってきた。空いているんだなぁ。いつもなら、待たないとやってこない。
 1週間に1度やってくるから、病状の変化を感じる。先週は、まだ、手を動かし、温かかった。緩和ケア病棟は個室だ。冷静に考えれば、そこに入院している人たちは、痛みや苦しみを緩和するためにいるのだから、同室になって、他の人たちの苦しむ声を聞くだけでストレスになってしまう。おふくろが入院するとき、「ここには緩和ケア病棟はないからね」と言っていたのは、そういう意味だったのだ。

 挨拶をし、病室に入る。家族がみんな集まっていた。弟さんだけ、こっちに向かっている最中だ。
 薄目を開け、呼吸器をつけ、一定のリズムで息を吐いている。「身体は動かしているの?」「動かさない」「熱が出ていて」「今は?」「出ていない」少し温かいおでこを触りながら聞く。「すべてのエネルギーを中心に集めているんですって、手も冷たいの」
 穏かな顔を見つめ「きっと、いい夢を見ているんですよ」と答えた。肉体が苦痛を感じるようになると、脳が意識を守るために夢を見させるようになるのだと思う。目を開けていたとしても、病室には居らず、まったく別なことを見ているのだと思う。

 お母さんが「息子が来たよ」と言ってくれた。受け入れてもらっていることをありがたく思う。親父さんには、「受け入れてくれてありがとうございます」と言いそこねてしまった。ちょっとした瞬間を見逃すと、伝えるべき言葉を伝え損ねてしまうのだ。

 親父さんの手に手を重ね、「もう、心配することは何もないです、安心してください」と言葉に出して伝えた。ふと顔を見たら、目が動いたような気がした。気のせいだろうと思った矢先、はーっと吐いた息が止まった。「えっ?マジ?このタイミングかよ」と心の中で思った。「誰か呼んで」と言い、俺が親父さんの前にいる場合じゃないと思い、お母さんと代わった。

 「まだ、駄目だよ、○×△が着てないよ」「頑張って!」と声が掛かる。止まった呼吸が一度大きく呼吸をする。そして、又、止まる。「頑張って!」再び、呼吸をし、止まった。苦しむことなく、穏かに臨終を迎えた。家族に看取られて、親父さんは逝った。人は、こんなに穏かに逝くことが出来るのだ。

 それから20分ほどして、弟さんが来られて、「親父、悪い、間に合わなかったな」と声をかけていた。男にとって、男親は、こんな感じだろうと思う。これが、母親だと、大変なことになる。
 その後、弟さんに時間を取ってしまい申し訳なかったと謝った。「大丈夫、大丈夫、昨日、夜まで一緒に居たから」と答えてくれた。
 
 みんなに看取られながら、親父さんは逝った。険が取れ、穏かな仏の顔だった。人は、こうあるべきなのだろう。幸せな旅立ちだと思う。気性の激しい人だったと聞く、俺が接するときには、気難しそうな人でしかなかった。何であれ、苦しまずに逝けるのが何よりだ。見ている家族も辛いからな。旅立つ人に掛ける言葉は、感謝の言葉しかない。

 俺を家族として受け入れてくれて、本当にありがとうございます。