こちらこそ

 「ちょっと、お願いがあるんだけれど」 「なに?」 「12月2日、弟の命日なんだ、一緒に墓参りしてもらえないか」 「はい」 会ったこともない、弟の墓参りに彼女を誘った。 快諾してくれるのは、判っていたけれど、嬉しかった。 逢わせる親もいないわけだから、つれて行くとしたら墓か? 

 彼女が、はじめて俺んちに来たとき、まず、仏壇に手を合わせてくれた。 「これが、おふくろで、こっちが弟、そして、愛猫」 と紹介した。 俺の話しでしか知らない家族の写真をはじめて見せた。 俺の話から、おふくろのイメージは、ジャイアンかあちゃんだろうな。 あんな線の細いイメージはないかもしれない。 だが、俺がこの世の中で、一番怖い人だ。 

 早いもんで、弟が逝って15年になる。 子供だったら、中学卒業するまでの時間が経過したことになる。 早いな。 それを考えると、俺は、あんま進んでおらん気がする。 おふくろは、なんだか知らないが、夢によく出てくるんだ。 参るくらいに出てくる。 弟は、なかなか出てこない。 出てくると、嬉しい。 

 おふくろが数日で、死ぬであろうと分かった時、最期に言葉を掛けなければならないと思いはしたが、言葉を発するのに時間が掛かった。 出そうとすると、その言葉を飲み込み、叉、出そうと思い、飲み込むということを繰り返した。 なんだろう、言葉に発せずに家族の絆は、あったのだが、言葉にする、相手を抱きしめるということが出来ない家族だった。 おふくろ、おやじは、俺を抱きしめたことはなかったように思う。 おやじからは、言葉よりも拳骨をもらった。 だから、最後の言葉を言わなければいけないのに何を言ったらよいか分からなかった。 俺が、最期に掛けた言葉は 「いろいろありがとう」 だった。 おふくろは 「こちらこそ」 だった。 俺は、最近までこの言葉の意味が判らなかった。 なぜ、「ありがとう」 と言わずに 「こちらこそ」 なのだろうかと。 この言葉の意味は、同等の者という意味をおふくろは込めたんではないか? と、思ったんだ。 子供として言ったのではなく、同等の者として扱い 「こちらこそ」 と言ったんではないかと思った。 

 彼女には、言葉に発するし、手を握るし、抱きしめる。 大切な人だから。