五十の舞 その9

 緩い登坂がだらだらと続くが、今のところは、淡々とこなしておる。 五十のおっさんにしては、身体の不調がなく、自分の思った事が出来ることに感謝している。 身体が動いて、自分の好きな事が出来るってことは、幸せなのだ。 三人だった家族がいつの間にか俺一人になっちまった。 死んでゆくのは、極々普通の事だ。 ちょっとした通過儀礼なのかな。 失うことは、又、何かを手に入れることでもある。 その空いた空間に何かが収まる事になっているのだと思う。 走りながら、空を見たり、山を見たり、ランナーを見たりしながら走っている。 苦しいはずなのに何故に至福の時と感じるのか? よ―分からんな。

 ヘッドフォンから流れる曲は、デフレパードのヒステリアに変わっていた。 90年代のヘビメタブームの牽引役でもある。 あの時代、何故にあんなにむさくるしいヘビメタが流行ったかねぇ? ヴァンヘイレンは、アメリカ人全般が受け入れる事が出来るロックなんだと思う。 エディのギターを聴いて 「気持ちがいい!!」 と感じるんだ。 突き抜けたカリフォルニアの青い空って感じかな。 

 デフレパードは、優等生のロックバンドみたいだった。 但し、メンバーの中にずば抜けて上手いヤツはいない。 それがある意味で、癖になっていない事が魅力になっているのかな。 突き詰めた結果、積み上げた緻密な音を作り上げた。 エディのように一人で、低音までカバーしたガツンとくる音ではなく、単音を幾つも幾つも積み上げて厚味を上げてゆく手法にした。 レコーディングは、気の遠くなるようなオーバーダビングだろう。 カランとした乾燥したギターの音がする。 ヒステリアはヒットした、でもどのバンドもこの音の模倣をしなかったよな、限りないスタジオ時間と金が融通出来んかったのだろう。 それにロックの本道としては、一発ガツンというのがステイタスだからな。
 メンバーも、女好みのイケ面揃いと来ている。 当時のヘビメタ系は、湿った連中しか居らんかったからなぁ。

 ロケットが流れている。 初めて聴いたとき、「変な曲だなぁ」っと思った。 それから、聴けば聴くほどに馴染んできて、今じゃお気に入りの1曲になっている。 デフレパードは、独特のコーラスワークがある。 只耳から聴いてコピー出来ない、不思議なコーラスワークなのだ。 機械的っていうのかな。 無機質な音作りの中で、カランとしたギターの音が温かみを与えているのかもしれない。 

 「ロケット〜Yeah!!」 と端から聴いておると訳のわからん掛け声をかけながら走っている。 いつ頃からかなぁ、音楽を聴きながら走るようになった。 前回の立川のレースで、長年ご愛用のMP3プレイヤーが壊れて走ったとき、無音で走るとペースが速いことに気がついた。 それが良いことか悪いことかは別にして、俺が持っている本来のペースで、走っていたんだと思う。 結局、いつもと違うペースになっちゃって、後半ガタガタになってしまった。 俺が一定のペースで走るために音楽は、一仕事しているってことか。  

 左手に川が見えてきた。 そーいやぁ、こんな風景も見たなぁ。 自然の中を走るのは、気持ちが良い!!