抜かされたって良いじゃない だって人間だもの その2

 到着すると、やけに人が多い。 学校の体育館が荷物置き場で、気にしない連中は、そこで着替えてしまう。 俺もその口だけれど、そこが混んでいるのだ。 去年は、まばらに人がおるだけだったのになぁ。 毎年、この大会、出走者集めにちょいと苦労しておる感があった。 エントリーしていないときも、メールで、「出ません?」 というお誘いが来ておった。 

 どうもおかしいと思ったら、今年はゲストに石川弘樹選手がやってくる! と言ってもだ。 大概の人は知らんだろ。 プロトレイルランナーの第一人者で、イケメンランナーである。 去年位から、しっかりとした人をゲストに呼ぶようになった。 去年は、芸人ランナーの誰かだった。 誰かだったが、誰だったか忘れた。 今年も、芸人ランナーが走り、更に特典としてプロトレイルランナーである。 どうしたんだ? そのせいか、出走者は880人ほどである。 いやぁ、いつも、500人位だと思うから、それ考えると、多いよ。 こりゃ、又、大渋滞だ。 

 去年と同じくらいに天気がよろしい。 北風が吹くとかいっておったが、今のところをそれを感じることはない。 山ん中だから、風が吹いても木々に遮られて、感じることもないだろう。 このレース、スタートが12時過ぎなのだ。 まぁ、都心から近いといっても、高尾は遠いよ。 俺んちから、Door to doorで、2時間ほど掛かる。 今回は、更にバスの時間もあるから、2時間強である。 それを考えると、昼時のスタートが良い頃合ではないかと。 9時スタートだったら、始発乗らないと、間に合わない。 あと、昼時になると、日差しも出てきて暖かい。 彼女は、日差しは天敵と呼び、忌み嫌うが俺は、日差しがないと、つらい。 風は大嫌いだけどね。 

 グラウンドがスタート地点なんだけれど、いやぁ人がワラワラ居る。 「去年、こんなに人居た?」 「いや、居ない」 グラウンドに目一杯居る。 「何で、こんなに多いの?」 「多分、プロのトレイルランナーがゲストで来るからじゃね」 「ホントに」 「ゲストが紹介されて、歓声が上がったらそうだよ」 

 「今大会のゲスト石川弘樹選手さんです」 ワーーーーーッっと盛り上がる。 「ほらね」 

 日差しも、心地よく、風も殆ど無風。 去年と、同じような天気かな。 トレイルで、雨降りは、物凄く緊張する。 山を登り、駆け下りてくるのだ、雨が降られると、細心の注意が必要である。 主催者が言っておったが、多少天候が悪いほうが怪我人が少ないらしい。 みんな、同じように細心の注意をするのである。 天候が良いと、足場が良いと思い無理をする。 俺も気をつけんと。

 「スタート1分前です」 俺は、軽く彼女を抱きしめ、「行って来る」 「気をつけてね、どれくらいで戻ってくる?」 「多分、1時間40分くらい」 去年、そんなもんだったから、今年もそんなもんだろうと思う。 本当は、1時間半くらいで戻ってくることを目論んでおるのだが、平地ばっかの練習で、いきなり山走って、思った通りには走れんからな。 

 グラウンドに800人ほどが犇いておる。 スタートラインに並ぶとき、自分が思っている記録よりも、ほんのちょっとだけ前の方に並ぶのコツなんだ。 俺が走るラインって、混戦するからちょっとだけ前を取り、混戦を避け、多少抜かされる辺りが一番よろし。 だが、山の場合は、道が急激に狭くなり、抜かすのが大変で、早いランナーの迷惑になるので、今回は、混戦の一派一絡げライン、密集地区。 近くに山や、起伏の激しい坂があるところに住んでいる連中をこんな時だけ羨ましく思う。 山を幾つも越えなきゃ街に出れないとこに住んでいる連中がバイクが上手いのと似ている。 

 バーーン!! スタート音と共に一線に中隊大移動。 ゆっくりと、動き出す、やる気満々の輔は、一気にスパークし、下りを越えて山に向かってゆく。 俺たちゃ一派一絡げ組みは、ゆっくりと連帯を組み、山に向かってゆく。 下りに慣れておらん連中は、減速するから後ろから走っておると怖いから、どんどん交わしてゆく。 そして、山の登りに入った瞬間、一気に減速! 自分で言うのも、何だが俺も走り慣れておらん割には、山の走り方は、上手いと思っている。 どう体重移動をしたら良いか判っておるのだ。 不思議だ? 

 昔っから、そうなんだが、緊急事態に陥ると、スイッチが多分、入れ替わるんだ。 自分でも、予想もせん動きをする。 普段、それが出来るか? って聞かれると、出来ん。 緊急時のオプションなのだ。 山に入ると早々に切り替わるらしい。 

 山ん中を集団が、ザッザッザッザ言いながら上げって行く光景は、何とも形容しがたい光景である。 普段のレースだったら、ウォークマンをしながら走るのだが、トレイルに関しちゃ怖いので、耳は塞がない。 五感をフルに使って走ることになるからな、ちょっと気ぃ抜くと落ちちゃうし! 
 いやぁ、始まっちゃいますたよ、登坂コースが。 始まっちゃえば、走るしか術がなく、完走するか、棄権するかしかない。 彼女が応援に来ておって、棄権はない訳で、完走するしかないのである。