昭和のいい男

 昭和のいい男の代名詞といったら、草刈正雄と、アラン・ドロンだった。 中年のおっさんが 「アラン・ドロンに似てるだろ?」 という冗談をよく言っておった。 おふくろは、面食いで、石原裕次郎ユル・ブリナーアラン・ドロンだった。 

 俺はっちゅーと、アラン・ドロンは、ピンとこないんだ。 カッコ良すぎるのかなぁ、隙がなさすぎ! あの顔で、身体能力高くて、元傭兵でしょ、ちょっと非の打ち所がないよな。 あえて言うなら、冷たすぎと映るとこかなぁ。 

 そんな、ドロンの代表作 「太陽がいっぱい」 

 今まで、腐るほど、テレビ放送され、水野晴郎荻昌弘淀川長治に解説されまくったであろう。 地上波のテレビから、映画解説がなくなって、久しいが、復活させてくれないかなぁ。 半ば、押し売りのような解説って、貴重だ。 最近、おすぎの解説聞かねぇなぁ、どうしてんだろう。 
 この映画、おふくろに付き合わされて、観ているはずなんだけれど、印象がない。 何故だろう? 名作なのにねぇ。 そんな訳で、再見した。 

 青い瞳に眩いばかりの肉体にあの! 顔である。 昨今のCGアニメのキャラみてぇーだ。 誰も彼もドロンと叫ぶのもわかる。 金持ちにコバンザメのように張り付く上昇気性の無学の若者、まるで、ドロン本人とダブる。 金持ちのボンボンを殺して、ちゃっかり財産をせしめようとする。 重要なキーワードがサイン偽造だ。 今じゃ使えんトリックだな、リメイクされた方は、どんなトリックを使ったのかねぇ。 

 観てて、何故にこの作品があまり好きになれないか判った。 あれほどの美貌をもっとる青年が、金まで、せしめようという根性が気に食わなかったのだ。 だってさ、あれだけの身体と、顔を持っておったら、世界は、俺のもんじゃないか! それをだな、金持ちのボンボン殺して、安直にせしめようという腹が気に食わん。 だから、嫌いだったのか、納得した。 

 個人的な好き嫌いは、別にして、この頃のヨーロッパの映画は、良いよな。 哀愁と、暗さがワンセットになっておる。 日本人の湿気っぽい感情には、ここら辺の映画が似合っているんだけれどなぁ。