乗るなら飲むな、飲むなら乗るな

 俺は、酒を止めて、どれくらいになるのだろうか? 20年は越えている。 酒は、罪悪だとは思っていない。 欧米人は、面白おかしく酒を人生に取り込んでいる。 アメリカ人は、パーティーバカみたいだけれど、深酒はしないんだよね。 限の良いとこで、切り上げ、バイバイする。 ヨーロッパ人は、昼時にワインを飲むが、アホみたいに飲むことはしない。 食事の付けあわせという感覚だ。 

 嗜むという領域を越えて、飲むのなら、考えた方が良いと思っている。 歳を食うにしたがい、体力も、酒を処理する能力も、劣ってくる。 でも、酒を飲む連中は、若い頃と同じ量を飲む。 酒に飲まれなければよい、だが、なぜ〜か飲まれるのだ。 俺が、酒を止めた原因は、飲むたんび、記憶がぶっ飛んだからだ。 このまま飲み続けたら、きっと死ぬなと思った。 もう一つは、おやじのようになることが嫌だったのだ。 この判断は、間違っておらんと思っている。 俺も、偉そうなこと言っちゃいるけれど、嗜む程度に飲むということが出来ないのだ。 タバコ然り、酒然り、博打は、自分に才能がないと思っているから、手を出さない。 女は、相手のことを考えずに突き進んで行くのは、アホだと思っているから、入れ込まない。 今、付き合っている彼女は、真剣に付き合い、相手を思いやっている。 連絡がないと心配するし、問題が起きると、明日に伸ばさずに速攻で、電話し、話し合うことにしている。 
 付き合いだして、半年を越えているけれど、2度山があった。 でも、今まで、喧嘩をしたことはない。 多分、これからもしないような気がする。 それは、もしかしたら、彼女の器が大きいからなのかもしれない?

 話が反れたな。 年始の集会で、8年間の遺恨があって、悪いのは、阿久悠なんだけれどな。 確かに今は、あの頃とは違い、頑張っているかもしれないけれど、素直に謝ることが、簡単で、確実な解決方法だったように思う。 酒が入っているから、謝りそこねたとか、謝れないとかっていうのなら、飲んじゃ駄目だろ? 確かにお互い、気性は分かっている、分かっているけれど、大切な瞬間はあると思う。 

 Iは、友達だと思っていたから、その行為を許せなかったんだろうなぁ。 阿久悠に関しちゃ、おふくろにそのときの状態を説明したら、「阿久悠君は、そーいう風になるの想像できたでしょ? 何で、止められなかったの!」 と、怒られたことが思い出される。 下らん判断に振り回され、不安になるのなら、不安から逃げるのではなく、根本的な原因を取り除く方法を考えた方が良いと、俺は思っている。