大日寺に山門の前で、先ほどの登山ルックをしたご夫婦に会う。 今度は、そちらが先行した。 「こんにちは、うどん食って、昼食にしてました」 「あぁ、あそこで食べたんですか」 やはり、俺の後ろを追っかけてきていた。 「次にゆくには、ここを下ればいいんですか?」 叉、聞かれた。
よし、大日寺をクリアして、半分折り返した。 おいおいまるで、オリエンテーリングじゃないか! 道は、フラットだから、問題なく歩くことが出来る。 とにかく、こいつに慣れることだな。 日差しは強いんだが、風があるから、それほど暑くは感じない。 この時期、まだ、鼻がむず痒い、あれだあれ、アレルギー性鼻炎。 それも心配の一つだった。 薬飲みゃーいいじゃんと思うだろ? 鼻炎の薬って、物凄く喉が渇くんだ。 ずーーっと、歩いておって、喉が渇くのは致命的だ。 当然だが、ランニングのときも飲まない。 気合で、止めるしかないな。
大日寺を後にして、坂を下ってゆくと、電車で一緒だった白装束の彼が、座り込み飯を食っておった。 しきりにスマホを操りながら飯食っている姿がなぜか、滑稽に映った。 このご時世、それが普通なんだろうけれどな。 俺は、国道から外れ、遍路道の案内に従い歩いておる。 国道から外れた時点で、俺のガイドブックは役に立たん。 ガードレール、交通標識、電柱などにお遍路道の案内が出ておる。 曲がり角に着くたんび、それを探す。 マジ、それ頼りである。
太陽が照りつけはじめ、暑さも加速する。 「紫外線は、夏ではなく、今の時期が一番強いんです」 と、散々テレビで言われておるけれど、あんま気にかけなかった。 ここ数年、焼けることがなかったからであろう。 半袖で、腕をぶんぶんぶん回して、歩いておった。 しっかりちゃっかり、焼けるのだ。 この時点では、そんなことは知る由もなく、歩くことにばっか気がいっておるんだ。
地蔵寺まで5キロ、これをクリアすれば、今日は、終わったも同然である。 毎日、歩き続ける何ちゅーことは、やりそうでやらない。 サラリーマンも営業で、歩き続けるが、歩くことだけを目的に歩く訳じゃーない。 人は、どこかに向かうために歩くのかな。 だとしたら、このお遍路の 「歩く」 の目的は、一体なんだろう? 俺の中には、5日間の行程の中で、俺が立てた目的を達成するために歩いているのかもしれない。 これで、正しいのだろうか?
矢印に従い辿り着くと、寺の山門からじゃなく、脇っちょから入ったようだ。 これ遍路道なのか? 中に入ってゆく。 名前が確かめられんと、判らんなぁ。 本堂らしきものに向かっていたら、声をかけられた。 「そこに入るんだったら、拝観料を払ってください」 うん? おかしいなぁ、お遍路で、拝観料が必要なとこなんて、聞いたこたぁない。 判らん場合、素直に聞く。 「すいません、こーいったことに詳しくなくって、判らないんですが」 しゃーないなぁという顔をされ、説明してくれた。 地蔵寺の中にもう一つ、五百羅漢堂があり、中にある等身大の羅漢を見るために拝観料が必要なのだ。 宗教心も、羅漢像に対する興味もないから、スルーした。 進みながら、知識を得ていった。 八十八箇所とは別に霊場があるんだ。 これも、お参りするというオプションもあり、これを入れると、100を超えることになる。 周辺に八十八か所に該当しないお寺や、神社が多いんだ。 結局、宗派が違うから、仲間に入れんかったのだろうな。 そして、四国という場所柄、自然災害の多さから、神仏に頼る文化があったんじゃないのかぁっと思う。
とりあえず、正面から入りなおそうと思い、山門で、写真を撮り、挨拶し、入りなおした。 これで、残り、二つである。 後は、只管闊歩するだけである。