Henro walker 5月13日

 寺を出て、右手に真っ直ぐ進む。 歩き始めたら、あとはノルマをこなすだけ。 妙にフラットな田園風景を見ながら歩く。 アジアに行くと、昔の日本の風景に出合うとか言われるが、四国は、俺がガキの頃、見た風景そのまんまが残っている。 東京じゃ、当の昔に塞がれてしまったお堀や、下水道も、昔ながらの水が流れる光景が見える。 危ないとか、不衛生とか言われて、塞がれてしまったのだろう。 家を囲むように大きな堀があるから、その家の子供は、一度は落ちているんだろうなぁ。 

 しかし、車からは、お遍路が歩いている姿は、どういう風に映るのだろうか? 「叉、歩いてやがるよ」 「途切れもせずによく、やってくるなぁ」 「何が楽しくて、歩いているんだ?」 そんな感じで、思っているのだろうか? まだ、このお遍路の恰好に違和感ありありなので、端から見られている姿が気になったりする。 

 俺の持っているガイドブックに載っている地図は、3センチ×10センチくらいの小さいもんで、大まかなこんな感じに進んでちょっていい加減なのだ。 マジにこの地図だけで、八十八か所廻れたら、ハグして、ソフトクリームをおごるよ。 さっきの店には、俺が捜しておる地図はなかったので、買わずに来た。 大きすぎってこともあるし、既にガイドブックを持っているのだから、余計なもんを一切買う気にはならんかった。 「四国遍路ひとり歩き同行二人」 というへんろみち保存協会が出しておる地図帳を探しておった。 これが、一番使い勝手が良いようなのだが、普通の本屋では置いていない。 徳島のそごうの本屋で探したけれどなく、寺の周辺に行けばあるだろうと、望みを繋いでおったのだが、手に入らず。 じゃーお前、何を頼りに歩いておるんだ? 頭に焼き付けたちっこい地図か? 

 違うんだなぁ、所々に赤い矢印や、お遍路さんを型だったマークがついておったり、石柱で、矢印があったりする。 お遍路さんが迷わんように道しるべとして、シールが貼られておるんだ。 こいつを頼りに歩いておったのだ。 存在は、ネットで知っておったから、「あぁ、これか」 と、思い、素直に従うことにした。 従っていたら、国道が反れて、舗装されておらん道に入ってゆく。 俺のガイドブックは、素直に国道を使うルートしか、書かれておらんかったから、ちょっと、不安になったが、シールが貼られているんだから、こっちで、正しい! と、ずんずん歩いてゆく。 今日は、ペースとか、判らないからガンガンとりあえず、歩いてみようと思っていた。 そのうち、なーんとなくペースが掴めてくるであろうと思っている。 

 どんどん閑散とした方に入ってゆく。 途中で気がついたのだが、へんろみち保存協会推薦の道は、国道ではなく、昔ながらの遍路道を推進しておるのだ。 道は斜めに斜めに進んでゆく。 次の寺が若干国道を入った位置にあるから、そっち方面へと進んでおるのだ。 途中看板で、「まむし注意」 と、書かれておった。 そーいうのを見ると、金剛杖を買っておくんだったと思うが、山に入るまでは、杖は邪魔になると思い、手前まで、買わずにおこうと思ったのだ。 こんなとこで、杖を買わんかったためにマムシ噛まれて、旅を断念するわけにいかんから、ずんずん大きめに音出して、人間通ってまっせっと、意思表示をしながら闊歩した。 

 誰とも、めぐり合わん、おかしいなぁ、もっと、人が居るはずなんだけれどなぁ・・・と、思いながら歩いておった。 ウォーキングシューズが、歩くと少しだけ踵が動くのだ、だからといって、これ以上サイズダウンすると、足が痛くなる。 だが、荷物を背負うと、ジャストフィットになる。 荷物を背負うだけで、靴の履いた感じが違う。 これから、日を追うごとに荷物は減ってゆくはずなのだ。 まだ、杖を持たずに歩いている。 山に入るまで、金剛杖を持たずに歩いた方が楽だと判断しておった。 普段、杖を持って歩く習慣がないから、荷物になると判断したのだ。 片手に何かを持つと、バランスが変わってしまう。

 国道を迂回し、脇から2番極楽寺に出た。 おぉ、ここは知っておるぞ、水曜どうでしょうで、大泉洋が、「2番! ごくらくじ!」 っていうあれだ。 なかなかねぇ、テレビじゃないんだから、お寺の前で、あんな感じで、写真は撮れんよな。 あとで、判ったことなのだが、俺は、寺を撮らずに入り口の山門だけを一生懸命撮っておった。 結果、山門コレクションになってしまった!!

 山門で挨拶をし、中に入ってゆく。 本堂の脇にでっけぇー杉の木がある。 長命杉で、空海が植えたとされておる。 1200年である。 おばあちゃんが杉を触っていた。 「凄いですね、あやかりたいと思って」 「そうですね、僕もあやかります」 人なんかちっぽけだ。 人は、自分の無力さを知ると、偉大なものに尊敬の念を持つ。