博士頭

 いつも書いておるが、流行りもんには、興味はない。 これに関しちゃ、俺だけではなく、俺の周りにいる連中も一緒だな。 流行とか、当たり前の事とか、常識は、通用せん。 それだから、長いこと繋がっておるんだろうな。 当たり前の発想だと、気づきはなく、同調しかないのである。 変わりもんが数人集まるから、違った角度で、見解を述べるのだ。 嫌いは、好きのスタート地点とは、よく言ったもんで、否定の中に自分自身にないものへの憧れがあるのかもしれない。 

 博士と名のつく連中も、世間とか、常識とか、もちろん、流行なんぞは、気にもしないのだろう。 考え方として、無駄がない発想が俺の理想だ。 余分なもんが、ゴチャゴチャとあると、折角、答えが目の前にあるっちゅーのに見失ってしまう。 そーいった意味では、博士頭は、俺の理想だ。 

 以前にも書いたが、俺の理想とする人物は、シャーロック・ホームズなのだ。 今、起きていることより、先に起るであろうことを推論するのだ。 確かに日本にも、明智小五郎っちゅー名探偵が居る。 が、美意識がありすぎて、ちょいといかんのだ。 そして、金田一耕助。 俺は、明らかに金田一耕助タイプだ。 起きたことにのみ、推論を組み立てる事が出来るのだ。 これじゃー起きることを事前に予期する何ちゅーことは出来ん。 

 最近の探偵無勢に新参もんが、湯川学であろう。 ここ20年位、ミステリー小説は、捨てているから、読んだことはないけれど、テレビドラマ 「ガリレオ」 を観た限りでは、系統として、シャーロック・ホームズである。 探偵ではないけれど、「相棒」 の杉下右京も、シャーロック・ホームズに属する。 ホームズになるには、科学的な知識も豊富じゃねぇーと、駄目で、俺はその時点で、ハイ、終了である。 

 原作を読んでおらんから、なんとも言えんが、湯川学も、回数を重ねるごとにやっけに人間味が増しておる。 第1シーズンは、世間とのあまりにもかけ離れた行動、発想が、コミカルに映っておったのだが、「容疑者Xの献身」 辺りから、人の心に関わってきている。 そーせんと、成立せんストーリーではあったけれど。 ってことで、真夏の方程式

 オープニング、真夏の題名に似つかわしい、雪の降る場面から始まる。 あのハンドカメラで、人目線でのアングルは、「セブン」 から、苦手である。 テレビサイズでは、マシだが、映画館で観ると、小刻みに揺れるカメラと大画面で、気持ちが悪くなってくるんさ。 「セブン」 は、混んでおって、最前列で観てしまい、してやられた。 
 そして、真夏の題名にふさわしく、常夏、ココナツ、パラダイスの海が出てくるのだ。 

 子供が苦手な、湯川博士にガキンチョが懐く。 ガキンチョにとって、科学の実演って、マジックと一緒だよな。 不思議と感じるマインドには、次の扉を開ける作用がある。 

 この作品の重要なパーツは、繋がっているということだと思う。 海の開発による、自然破壊。 今は、何も判らんガキンチョが、大人になったとき、誰がその答えを与えてあげるか? 今、歩いておる道が、どこに繋がっておるかを理解するのは、大人の役目なんだよ。 昔は、その道の先に何があるかを理解しておる大人が沢山居ったように思う。 今は、自分の進むべき道しか見んし、進むべき道を塞いでおる障害を如何にぶっ飛ばして、俺様の進みやすいようにするか? ということが大事なように映る。 

 俺はっちゅーと、自分の足下の道が、どこから繋がっておったかしか判らんのだ。