行く末は、一杯の掛けそば

 今、俺の職場で、耳がちょいと遠い人がおる。 片耳が難聴なんだけれど、普段の会話でも、大きく話さんと聞き取れないのだ。 3回に1回は、「えっ?」 っていう顔をされる。 片耳が難聴だというだけでも、こんな感じなのだから、両耳聞こえんかったら、大変なことになる。 何の話かって、ここまで書けば分かるでしょ、今話題の佐村河内守氏の話しだな。 ちなみにこのネタが出てくるまで、存在をまるっきり知らんかった。 長髪に髭の風貌から、麻原彰晃を思い浮かべた。 曲を作れず、楽器も達者じゃないことは、事実らしい。 両名に共通して言えることは、自分自身が出来ないことを他人にやらせるということかな、それもあたかも、自分自身の力のように。 麻原にしても、宗教を巨大な運営母体として機能しておった、佐村河内の場合にも、レコード会社を介して、大きく動いていたのだろう。 この3ヶ月前に佐村河内に対して、疑問を投げかけた野口剛夫氏は、確信があったのだろうが、正面切って、やりあうのは大変だったろう。 そこには、身障者であるということが、それを言わせない盾になっていた。 それを防御盾として用いた佐村河内が悪いのか、盾を掻い潜り、疑問を投げかけることが出来ないことが悪いのか? 

 これから先の行く末は、「一杯の掛けそば」 に向かうんじゃないか? と、思っている。 真相がわかってしまい、一気に引いて、表舞台から、さよ〜ならだ。