だからさ、心に形はないんだって

 最近、胎内記憶っちゅーもんが、流行っておる。 胎内に居った時の記憶が残っておるというもんらしい。 20年以上前にも、そんなよーなもんが流行ったよな。 そんときは、後進国の人たちが多かったように思う。 心とか、その人自身を現すもんが、何故に脳みそは、作り上げることが出来るのか? っちゅーことが、医学界や、科学の中で、議論が呼ばれておる。 もし、胎内の記憶が存在すると、既に生まれる前から、人格が出来上がっておるということになる。 脳みその機能は、分からんことばっかだ。 正しくないな、機能は、理解されておるけれど、何故、そーなるのか? ということが解明されていないと言ったらいいのかな。 
 俺は、8割方、死後の世界は、無いと思っている。 残りの2割は、脳の機能が、解明されておらんのと、もしかしたら、心と言われるもんの保管庫があるかもしれんと、思っている。 もし、そーいったものがあるとしたら、人の頭で、想像できるもんではないんだ。 だって、考えることが出来たら、とーの昔にプロトタイプが出来上がっているだろう。 

 胎内の記憶を聞いてみるとさ、大仏さんが出てきたり、たくさんの赤ちゃんが居ったりするんだよ。 文化や、慣習といったもんが垣間見える。 三途の川が、脳が作り出したもんだと、思える理由は、日本だったら、着物を着ておったり、風景が見慣れたもんだったりする。 俺は、三途の川があるのなら、そこに居る人たちは、裸だと思っている。 万国共通は、裸だろ? それになぜ、折角、子宮の段階から、記憶があるのに生れ落ちる際に消されるのかも、意味が分からん。 そーいう風になるってことは、意味がなければならない。 その世界には、羞恥心何ちゅーもんもないし、何かから、守らなければならんこともないだろうからな。 あと、魂と呼ばれるもんがあるのなら、たぶん、光なんじゃないのか? そして、姿かたちはなくとも、それが、誰なのかを理解すると思う。 神が存在するなら、見たこともない眩しい光なんだろう。 宗教家は、「安心させるために見慣れた姿で、現れる」 というかもしれない。 そんな世界があったらさ、形や、記号に惑わされることはないと思うんだけれど。 だからさ、心に形はないんだって。