宇多田ヒカル様 心中察します

 自殺は、残されたもんにとっては、精神的ダメージが大きい。 何故、止められなかったのだろうという気持ちと、残された感がある。 そして、只只、後悔の念が募るのだ。 俺の場合、ちゃんと感情が機能するようになるまで、7年掛かった。 職場では、ずーーっと、弟は生きていることになっていた。 そうだな、弟が死んだということを話すのに7年掛かった。 そして、自殺だったということを話すのに10年掛かった。 自分から喋ることはないよ、聞かれたら、答えるということ。
 感情の色々な部分を収めるべき場所に収めるのに時間が掛かる。 それをやるのは、自分自身だと思っている。 それが、出来ない人は、宗教に頼ればいいと思う。 そーいった自分自身で、解決する事が出来ないことのために宗教があると思っている。 宗教に頼る事が悪いことだとは、思っていない。 それが解決できたことによって、宗教が万能であると考える事が、いけないんじゃないのかな、それが、結果として、盲目にしてしまうのだ。 
 
 弟が死んだとき、俺は、生きてゆけんと思った。 だが、しっかり、13年生きている。 俺自身も不思議に思える事がある。 「あぁ、こーいう辛い事があっても、人は生きてゆけるんだ」 当然、生きてゆけん人も居る。 それは、しようがないことだよねぇ。 
 つくづく思うけれど、ゲーノー人とか、人の注目を浴びる商売じゃなくって、良かったと思っている。 今の宇多田ヒカルは、不幸に思える。 自分自身で選んでしまった商売のために悲しんでいる姿を人に晒さなければならないというのは、辛いよな。 
 弟の死は、俺の人生の中では、100%の痛みだった。 それを考えると、おふくろの死は、素直に受け入れられるもんだった。 何にしても、今の俺が存在できるのは、弟と、おふくろのお陰だな、感謝しています。 それに引き換え、何も背負う事が出来なかったクソ親父は、哀れだな。 今となっちゃ、俺の唯一の血縁ではあるけれど、気にかけることはない。 70歳を過ぎて、相変わらず、飲んだくれているのだろうか? 酒を止めて、誇りの思うことは、親父のように飲んだくれにならんかったことだ。 クソ親父、あんたが捨てた息子は、強靭な精神力で、闊歩してますぜ!!