ザンボット3

 俺らがガキの頃に見ておったアニメは、根底に妙に大人びたものを感じた。 確かに今のアニメの方が抽象的なもんを上手く表現しているかもしれないけれど、俺らの頃のアニメって、どこかに戦争に匂いがあったのね。 製作している側が、戦争体験者多かったことが、大きく反映していると思う。 巨人の星の一徹、オズマの戦争のエピソードは典型だよな。 ガンダムにしても、妙にリアルな戦争の感覚を表現しておったのも、そこら辺が理由だと思う。 
 あと、トラウマになる描写もあったなぁ。 俺はねぇ、ガンダムの中で、ミハルのエピソードが一番嫌いなんだ。 弟と妹を育てるために意に反して、スパイやるわけじゃない? そんな中で、戦争が嫌になって、艦を降りるカイと出くわす。 始めは、商売のためにカイに近づくんだけれど、ホワイトベースで、必死に戦おうとするカツ、レツ、キッカに出会い気持ちが変わる。 結果、カイと一緒に飛行艇に乗り、応戦しにゆき、海に散ってしまう。 あの爆風に吹き飛ぶ時の 「どうして?」 という表情が嫌いだ。 爆風で、纏められていた髪の毛が解けて、広がるんだよ、凄く不快。 ミハルの存在を知っているのは、カイだけで、アムロもチラッと見ただけ。 カイの心にだけに聞こえるミハルの気持ちがどーにも泣ける。 どうしようもない感が全開なんだよな。 せめてもの救いっちゅーのかな、それが 「ジルとミリーかい?あのこ達なら大丈夫さ。私達よりずっとうまくやっていけるって」 という台詞かな。 
 
 富野が、サンライズを不動のもんにしたのは、ガンダムだけれど、その兆候は、ザンボット3に垣間見れておるんだよな。 先日、アニメ生誕50周年という番組の中で、ザンボット3が取り上げられ、数十年ぶりに魔のザンボットの最終回、「燃える宇宙」 を見たんさ。 ラスト3話くらいに跨って、最終回を迎えるんだけれど、最終回だけしかやらんかったから、既に神ファミリーの大半がいなくなっておったのね。 じいちゃん、ばあちゃんが、21話で、特攻で死亡。 父ちゃんが22話で、特攻で死亡。 最終話で、家族の大半が死亡し、残るのが主人公の神勝平と、勝平のかあちゃんのみである。 壮絶だろ? みんな、誰かを守るために死んでいるんだよ。 俺は、昔っから、最終回だけ見る癖があって、ザンボットも見ておらんくせに最終回だけ見たんだ。 まだ、小学生だった俺に次々と人が死んでっちゃう描写は衝撃だった。 余りにも、重く、悲しいから、その後、ずーーっと、封印しておったのね。 これの後番組のダイターン3は、基本コミカルで、作られておったから、見たんだけれどね。 それでも、最終回は、重かったな。 
 最期、地球に落下したザンボエースが、海に座り込んでおって、目元が海水で、涙にように見える描写になっている。 一人だけ生き残った勝平の下にみんなが集まってくるところで終わるんだ。 とにかく、当時は、まだ、描かれることがなかった目新しい描写を沢山やっておった。 敵から、守るために戦っておるのに戦場になり、街が破壊されることを神ファミリーのせいにしたり、勧善懲悪からの脱却により、最終回を心地良く見せてくれんのだ。

 確かにさ、富野が関わったライディーンにしても、最終回で、神宮寺が特攻やっちゃうんだよね。 ちょっと待て、ゲッターロボで、ムサシが特攻をやったじゃないかと、言うかもしれないが、あれは、途中で、コントロール不能になって、結果、特攻になってしまうのだ。 ここら辺が皆殺しの富野の予兆だったのかもしれないな。 俺は、未だにイデオンのトラウマから抜け出せていないぞ。