DANGEROUS MAN

 最近、俺のマイブームは三島である。 気になると、とりあえずは、調べないと気がすまない。 んな訳で、三島由紀夫の評伝を読む事にした。 日本人が書いたヤツだと、感情のバイアスが掛かりすぎて、ちょっと下がった位置で書いてないかもしれんと思い、フランス人が書いたヤツを読む事にした。 2年前、三島没後40年で、一気に活気付いた。 あと、かみさんが死んだことも影響しておる。 かみさんは、息子、娘に影響がないように多岐に渡り、規制をかけておった。 色々言われちゃいるけれど、家族のことを思い、叉、三島のことを愛していたんだろうと思う。 文献で知ったんだけれど、新聞に介錯された三島と、森田の首が新聞の一面を飾ったらしいのだ。 今じゃ、考えられんよな。 そのことから、三島のかみさんがメディア一切を信用しなくなったのは、想像出来る。 そこまでせんと、家族を守ることが出来なかったのだろう。 

 三島を語る場合、幼少時の生い立ちの捩れが、大きく作用しておる。 母親から、三島を引き離したヒステリー持ちの婆さんが元凶か? 確かに直接的な原因を作ったのは、婆さんだけれど、その婆さんに悪影響を与えたのは、爺さんなんだよな。 その爺さんに・・・と、おって行くと限がないが、一つの事が原因で、そーなるわけではなく、複合的に絡まって、捩れて、歪んじまうんだ。 

 しかし、三島を作家としての礎を築く要素を培ったのは、婆さんで、三島を幼い頃から家から出さんと、文学に親しませ、叉、歌舞伎や、演劇に連れて行ったのも婆さんだ。 この婆さんが居らんかったら、只の官僚になっておったのかもしれない。 

 そして、三島の作家の師は、川端康成なんだよなぁ、学生の時分から、文通をして、交友を深め、結婚式の仲人まで、引き受けることになる。 三島が世間に認知される、自叙伝めいた 「仮面の告白」 は、昭和24年に書かれておるんだよね。 戦後の匂いが漂っている中に発表されている。 内容が、ホモセクシャルめいておる。 あの時代にこの作品は、凄いよな。 

 三島っていうと、あの見事な肉体美が連想される。 ボディービルに行き着くまで、水泳をやり、合わず、ボクシングをやり、合わず、最終的にボディービルに行き着くんだよね。 養老孟司が、語っておったけれど、「作家は、静の部分が大きく、そんな輩が動のスポーツは出来ないのにやろうとしたから、ボディービルという静のスポーツをやることになる」 長島が、本を書くようなもんだよな、無理があるんだ。 
 ここら辺の動の部分は、幼少から青年にかけての虚弱体質であったということが原因しておる。 そのために徴兵も、乙合格になってしまい、前線に行くことが出来なかったことを引け目に感じておった。 三島が身体を鍛えることに傾くのは、出来なかったことを取り戻したいという気持ちがあったように思う。 海外に行くと、貪るように太陽を浴びていたと書かれている。 幼少の頃、浴びる事が出来んかった、太陽を気のすむまで浴びたかったんじゃないのかな。 

 そして、楯の会を作り、自分の目的を明確化してゆく。 市谷駐屯地の計画まで、1年を要している。 その間に自分自身の身辺を整理してゆくんだな。 遺産、それとなく、友人にさよならを言ってゆき、市谷に出向く。 今じゃー考えられないけれど、一作家に刀を持たせて、駐屯地の中に入れてしまうというのも何だかなぁ。 何故、三島は、天皇に兵隊を返そうとしたのかは、分からんかったが、裕仁天皇に返そうとしたのではなく、長く続いた皇族に対して返そうとしていたんだな。 

 読後、ふと思ったのが、もし、三島が総監を人質にし、演説をして解放し、投降したとしたら、どうだったろうか? 割腹せずに作家が起こした、一つの事件として収まってしまったとしたら、どうなっただろうか? 今ほど、カリスマ性もないだろうし、もっと、良い作品を発表したとしても、只の作家の域を出なかっただろう、テレビのくだらんゲーノー番組に出て、「あのときあの事件」 とかっていう番組で、インタビューを受けて、心境なんかを語っておったかもしれん。 そーすると、まったく別物になってしまう。
 三島が、安保闘争で、東大に立て篭もった学生が、負けを認め、投降するのなら、なぜ、腹を切らなかったのだ! と語っている。 これ叉、逆説で、もし、東大に篭城した学生が、自害したとしたら、安保闘争も扱いがまるっきり変わっていたように思える。 命を懸けた訴えは、人に通じるもんであると思う。 そして、それは、不変だな。 

 以前は、イギリスには、ジョン・レノンがいる。 日本には、ゴジラがいるだったが、今は、日本には、三島由紀夫がいる。 というのが、最近の俺の思いだ。 日本の最後の思想家だったのかもしれない。