MISHIMA

 三島が割腹してから、三島のかみさんが、版権を抑えちまったから、文献も出せんもんがあったし、映画のソフト化がされんもんもあった。 かみさんが亡くなって、徐々に出るようになった。 三島研究に関しちゃ、日本では止まってしまったな、海外の文献、映像の方が、興味深いもんが出ておる。 あんま、三島に深入りすっとさ、危険だけれど、日本人の思想として、避けて通れんと感じるところもある。  

 俺の友人で、アメリカに留学して、アメフトをやっておったナイスガイが居ったんだけれど、その彼のダークな部分が三島由紀夫陶酔だった。 いやぁ、酔っ払うとさ、「三島先生!」 だもの、ちょっと、引くよな、先生と呼んでしまうと、SO価学会の某先生を連想させ、俺としちゃ不快だ。 先生という部分を除けば、テラ規模で、三島の方が上だ。 

 なんつぅんだろう、日本から、三島のやったことを見ちまうと、俺たちの世代は、学校教育なんぞで、戦争を嫌悪感せよという見えない暗号含まれておったような気がする。 そのため、ちゃんとした冷静な目で、第二次大戦が、何だったのか? という大切な部分を落してしまった気がする。 歴史は、見せている部分と、見せてない部分で、方向性を変えちまうじゃん。 

 そんな日本に一石を投じたのが、三島の割腹だったように思う。 そのとき、三島は、どういう胸中であったか? というのは、個人個人の解釈に委ねられるんだろうなぁ。 

 今回、未公開であり、国内でソフト化もされず、噂は、知っちゃいるけれど、観たことないという人たちが多い。 MISHIMA 

 何故、この作品を観る事が出来たのか? ネットで流れておったからだ。 未だに公式には、日本で陽の目を見ておらん。 没後何十周年の本にこっそり特典でつけたという噂がある。 こっそりじゃないな、勝手にだな。 くだらん連想ゲームから、この映画に行き着いた。 体幹の使い方を検索しておって、ふと、侍が刀ぶん回して、人を斬っておったときって、体幹を使っておったんだろうな、使わんと人は斬れんよな、というところから始まった。 今でこそ、骨盤が寝てしまっている日本人であるが、しっかり立っておらんと、刀をぶん回すことは出来んかったはずだ。 刀、抜刀、三島の割腹が連想されたのだ。 それだけ、頭のどっかに常に三島が居ったんだろうね。 何故、彼は、平和に向かいつつある日本で、割腹をやったか? というところに行き着く。 

 埋もれてしまうには、惜しい演技陣が出ておる。 まず、三島に緒形拳 そして楯の会三上博史 オープニング、三島最期の日の朝から始まる。 そして、回想、三島作品を交えながら、その瞬間まで、導かれてゆく。 「金閣寺」 には、坂東八十助佐藤浩市 「鏡子の家」 には、沢田研二、李麗仙になぜか、横尾忠則  「奔馬」 には、兵隊役といったら、永島敏行、勝野洋 すべてが一つの目的に向かい進行してゆく。

 今まで観てきた、外国人が作るどんな、日本を描いたものよりも素晴らしかった。 すべてを理解して作られておる。 監督は、「タクシードライバー」 「ローリング・サンダー」 「レイジング・ブル」 の脚本、監督作としては、「アメリカン・ジゴロ」 「キャット・ピープル」 などがあるポール・シュレイダー。 重厚な、社会派作品が多い。 
懲りようといったら、凄い。 日本で撮ったのだろうが、三島の時代、昭和40年代の車が走っている周辺世界、すべて、その年代の車が走っているんだ。 つまり、カメラで収まる範囲すべて、映画関係車両ってことだ。 陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の内部セットも忠実に作られている。 見学で見に行った事があるから、分かるんだけれど、階段から部屋へ通じる扉までちゃーんと、作られておる。 ラストの演技は、緒形拳、一世一代の演技だ。 

 この映画に関わった人たちが、本気で作った映画が、日本で上映されなかったのは、残念でしようがない。 見終わったあとに久しぶりに虚空を見ちまったよ。 映画館で観たら、茫然自失だったな。