この世の果て

 職場の同僚のおばさんが危篤になり、休んでおる。 聞くと、リンパ癌だったようだ。 ガン細胞がリンパに乗っかってしまうと、手の施しようがない。 俺の性分なのだろうが、絶対に助かるという考え方が出来ないのだ。 多方面から物事を考えて、どういう風に考えを進めてゆくべきか? と考える。 おふくろが助かる事があるとしたら、医者の誤診しかないと思っておったしな。 
 意識不明になっても、耳だけは聞こえるらしい。 意識があるのか、それともないのか? 訊くことが出来ないから、分からん。 危篤になって、痛みや、苦しみを感じるのだろうか? それだけが、引っかかる。 本人にとっては、助からないのであれば、楽にしてあげたほうがいいと思う。 だが、家族にしてみれば、意識がなかったとしても、そこに居て欲しいと思っているのだ。 しゃべる事が出来ず、意思疎通が出来なかったとしても、残っているもんにとっては、そこに存在することが、救いなのだろう。 

 このところ、寒暖の差が激しかったから、危篤状態にはきつい。 これだけ、空調が整っておるのに外気の温度や状態が、影響する。 気圧の差も、大きく影響するのだ。 人の身体は、色々なもんに影響され、生かされているのだ。 人は、生きている限り、形を望むのだろう。 それが墓であったり、思い出であったり、写真であったりする。 生きている限りは、形に拘らなければならんのかもしれない。 

 神仏を信用しておらん俺でも、この世の果てには、おふくろと、弟が居るんじゃないか? と、思っている節がある。 それは、きっと、この世の果ても、宇宙空間も見ておらんからだろう。 この世の果てや、宇宙空間に居らんと、確認したら、諦めもするのだろう。