梨と、お茶

 日曜日、おふくろの法事をおこなった。 法事というより、墓参りというニュアンスの方が高い。 以前、伝えたように坊さんは、呼ばんかった。 法事に坊さんを呼ぶのは、理にかなった理由があるんだがろうが、どうにも腑に落ちんから、呼ばんかった。 呼ぶことで、気持ちが落ち着くのなら、呼べばいいのだ。 

 俺の中での法事の意味は、ちゃんとやってますから、安心してくれという意味でしかない。 一途はじめは、誰も呼ばんと、普通に墓参りに来ようと思っていた。 あまりにも寂しかったから、入棺を見送ってくれた友人を呼んだ。 普段着という注釈を入れておいた。 5人中、3人がサングラス、1人、坊主ルックという格好だった。 端から見たら、同年代の友人の墓参りにしか見えんかったであろう。 
 備えもんとして、梨を持っていった。 花も考えたが、マンション墓石では、備えることも出来んし、持って帰っても花瓶がないので、却下した。 生まれ育った場所で、梨が取れ、好きだったからと説明したが、本当は、最後の1週間は、水分が取れんかったから、喉も渇いていただろうから、喉を潤してあげる意味で、梨と、お茶だった。 振り返ると、死ぬことが決まっても、まだ、やってあがられることが、多々あった。 意識がなかったとしても、身体をさすってあげたり、脱脂綿に水を含み、口にあげることは出来た。 やってあげられなかったことは、しようがない。 誰かを見送るときにやってあげればいい。 その瞬間、一度しかないことを掴み取るのは、なかなか難しい。